先日見かけたプレゼンテーションで,こういう記述がありました(実際の表示では,センタリングされていました).
αであるための必要十分条件
↓
β=0
これには違和感があります.私ならこうするところ.
αであるための必要十分条件は
β=0
違和感の理由を書いてみますと,「↓」の使い方です.
「A → B」と書くのは,以下のいずれかであるべきです.
- AならばB (論理的帰結)
- Aがあって,そのあとにBがある (時間的な順序関係)
冒頭で使用している「↓」は,論理的帰結ではありません.時間的な順序関係(αであるための必要十分条件を検討すると,β=0という式が得られた)と考えるのは,そのときのスライドの内容*1を思い出す限り,これまた不適切でした.
ここでは,「αであるための必要十分条件」と「β=0」が等価な関係(「は」で連結でき,両者の順序を変更しても意味が通じる)なので,論理的にせよ時間的にせよ,2つの命題を順序付ける,矢印記号を使うのは,不自然なのです.
私自身の授業で矢印を使っている例を挙げてみます.
char *b = a; ⇒ a はchar *型
char *b; *b = a; ⇒ a はchar型
授業中は,この「⇒」を「ならば」と読んでいました(前者は,「『char *b = a;』と書いたなら,a はchar *型のポインタ値でなければなりません」).
ですが後者については,論理的帰結とすると間違いです.すなわち,aは算術型の値であればよく,*b に格納するときに,char型に変換されます.ここはむしろ,「『char *b; *b = a;』と書いてあると,a はchar型でないといけない(ポインタ値ではない)」と読む,つまり時間的な順序関係として「⇒」を使っているんだと解釈すべきところです.
*1:「前後関係」とか「文脈」とか呼ばれるやつです.