わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

塾合宿

大学・大学院時代を通じて,ある塾で講師をしていました.中高のときは生徒でした.14年間,その塾にお世話になりました.
そこでは,夏休みに合宿がありました.バスを1台借り切りましてcharter堺市某所の塾の前から,ハチ高原へ.夏は大学のスポーツや,我々のような勉強の合宿に使われ,冬はスキー場です.
塾合宿は3泊4日の日程でした.初日の午前と最終日の午後はバス移動.合宿所では,複式学級のように数部屋に分かれてプリント学習を行い,3日目からは試験をしていきます.
勉強だけではありません.朝は6:00ごろに起床で,300mほど歩いてラジオ体操.朝がダメな生徒を連れて行くのに苦労しました.2日目と3日目は,外でカラーボールで野球,室内でバレーボールや卓球といった時間がありました.そういえば塾長は大学のときに卓球部だったとのことで,凄腕でした.3日目の晩はキャンプファイヤー
塾講師の間でも,唯一お互いに顔を合わせる機会でした.
覚えている出来事は:

  • 廊下が一周できるつくりになっていて,あるとき,生徒が大きな音を立てて,廊下内を走り回っていました.何をしてるんやと部屋から顔を出してみたところ,塾長が追いかけていました.
  • 女子中学生だったか,彼氏に朝晩電話をしていました.公衆電話からです.携帯電話は普及していなかったころのことです.
  • 卓球では,全生徒・先生によるトーナメント戦をしていました.ハンデ戦で,先生が審判をします.ある審判についたとき,生徒がともに口の立つ子と言いますか,ハンデをどうするかでもめたり(男子生徒と女子生徒ですが,女子生徒のほうが1歳上だったので),ミスしたら何が悪いとかいいだしたりで,見ていてはらはらしました.
  • 中1の地理の採点をしていて,国名で「USA」という答案をどうしようか,何人かで議論して結局○としました.中3の理科で,「Ωの法則」は,これは×にしました.

あれこれ楽しかったのですが,ある年の春に塾長が入院を余儀なくされました.合宿は,準備にアフターフォローに,当日にと激務が多く,塾長の体力を考えると厳しいとなり,私が塾にいた最後の2年間は,合宿がありませんでした.