わさっきhb

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富田林の畑

父が富田林の川のそばで畑を開いたのは,私が幼稚園に通っていたときでした.
初めて連れて行ってもらった日も,なぜか,覚えています.11月3日でした.
その後,月1回くらいのペースで行くことになりました.兄も私も,汚れていい服を着て,ライトバンa light vanに乗り,堺の自宅から30分ほど揺られていると,到着.
父はいろんなことをやっていました.兄と私は,小石取り,肥料撒き,水やり,根菜類の収穫をすることが多かったです.周りで畑をしている,父よりも年上と思われる人から,励ましの声をかけられるのも,恥ずかしいものでした*1
たまに,おもしろい仕事をすることもありました.一つ思い出したのは,草用のカッターを使って,長い草を30cmごとに切っていく作業.草がざっくざっく切れます.父は何度も,指を切るなよと注意していました.
19歳になり,車を運転できるようになってから*2,畑仕事のしかたに広がりが出ました.父は仕事用のトラックで走り,私はその後ろをライトバンでついていきます.作業がひと段落ついたら,私だけ帰ります.父の帰りはいつも夕食後でした.
あるとき,そのご近所さんから,川辺の区画整理で翌日にでも整地されると知り,晩に,駆けつけたことがあります.農具を積んで,どうしても残したい木をトラックについているクレーン(ユニックと呼ばれていたなあ)で持ち上げて乗せ,川の反対側に移動して,植え替え作業をしました.帰宅したら夜の2時.父は徹夜でした.
畑地が川を渡って,残念ながら1年足らずしかできなかったのですが,5年おきくらいにそこを訪れると,だれも畑をしなくなった草地,昔から変わらない橋を見て,昔のことが偲ばれます.

*1:今思うと,父がよく畑に連れて行ってくれたのは,子供への教育,子供とのふれあいのほかに,畑のご近所さんにわが子を見せたいという気持ちがあったからなのかもしれません.

*2:「車の運転」も,19歳の大きな出来事の一つでした.また日を改めて書くつもりです.