わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

30歳,60歳(前編)

去年5月と今年3月の出来事をリンクして回想したいと思います.実名は挙げませんが,少し調べればだれか分かるものもありますし,プライベートの私を知っている人には「あの人か」と思われるかもしれません.
去年5月の昼下がりに,電話がありました.以下,よく出てくる人物なので,Mと呼ぶことにします.しっかり者の女性です.昔,大阪市内で,テレビゲームに関する「遊興の拠点」を作ってくれていまして,ときどき泊まりこんで,数人から数十人で馬鹿騒ぎをしたものです.
Mからの電話は,共通の友人であるK氏が亡くなったというものでした.最初の1本は,あるところからK氏の葬儀の日取りを聞いたがその真偽を(私が)知っているかというもので,2本目は,残念ながらregrettablyそれは事実だというものでした.
平日でしたが,午後は休暇をとって,葬儀場へ.通夜の直前に着きましたが,親族でない来客は私が初めてだったかもしれません.ほどなく,Mが来ました.また,Sの姿も見ました.
「遊興の拠点」と,ここまでの人間関係を整理してみます.馬鹿騒ぎ…ではなく「イベント」と呼びましょう…の場所は,たいていMが確保してくれました.イベントの企画や立案は,Mと私が同じくらいの割合で行いました.Mが足を使って行動する人なのに対して,私はインターネット広報係でした.金銭負担も基本的に同額.ちなみに参加料は取りませんでしたが,食べ物の差し入れは歓迎しました.
イベントとなるとしっかりした司会が欲しいのですが,我々がイベントを手がける前から進め方を知っていて,MCが得意というK氏に,たびたびお願いしました.
その後ほどなくMが結婚することになり,披露宴の司会を,K氏と私のダブル司会で務めました.私の結婚式には,M夫婦とお子さんを招待しました.
K氏には,早くから,Sが「懐いて」いました.そのうち結婚し,一女を授かっていました.実のところ私はK氏となじめず,一方Sは面白い人間であったので,ときどき電話をかけて,近況報告をしながら馬鹿を語っていました.当然ながら自分の結婚を期に,電話をかけなくなり,疎遠になりました.
さて去年5月に戻りましょう.通夜が始まるころにはもう少し友人が集まり,通夜ぶるまいを頂戴し,居酒屋に場所を移してもう少し話をして,私は帰宅の途につきました.
通夜の前だったか,Mより,「友人一同」の供花をしないかという提案がありました.金額も決して高くなかったので,同意しました.分担は,他の友人で協力してくれる人には一人1000円,あとは昔のように,Mと私とで半々,と決めました.いったん私が全額を出し,後日清算しました.
K氏について多くを語るのがここの目的でないのですが,重要なことを一つ,書き忘れました.K氏は翌年2月…先月ですね…に30歳になるのでした.30歳を直前にして,ということです.