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「分かっていない」というぼやき

ここのところ,「学生は○○を分かってないのか」というぼやきを,あちこちで耳にします.
ぼやくのは,教員だったり,大学生よりも上の年代の人だったりします.
このぼやき,聞いていて,どうも好きになれません.
理由を考えてみると,そのぼやきを聞いて,建設的なリアクションがとれない*1のが一つ.
もう一つは,何を根拠に「分かっていない」と判断したかが分かりにくいのです.以下,こちらに焦点を当てます.
会話から,根拠の想像がつくこともありますが,たいていは「その聞き方で,分かっていないとするのは,乱暴じゃないですか」と心の中で思って,口にはしません.
聞き方については,「対象」と「質問内容」に分かれます.
対象については,一人の学生に尋ねて,間違えていたからといって,「学生は」という広い範囲にしてしまうのは誤解のもとでしょう.暗黙のうちに対象とされる学生unspoken, intended studentsの全員が,分かっていないあるいは教わっていない可能性ももちろんありますが,間違えた学生だけが分かっていない可能性もありますし,何割が分かっていないかの推測が立てられません.
なお,「指導している学生が」という限定をつけていれば,誤解は減りますが,それでも「学生」が単数か複数か分からないときには,迷うことはあります.
では複数の学生に尋ねて,間違いが多ければ,「○○を分かっていない」と言っていいのかというと,まだ関門があります.質問内容のことは直後で述べるとして,他にも,即応できない(唐突な質問だった)という可能性もありますし,一人が,あるいは集団で間違った解答をすれば,心の中で別の正しいのにと思ってもその答えを出せないという傾向にも注意をしないといけません.
質問内容にもまた難しい問題がひそんでいますが,単純化すると,「質問者の想定する質問と解答を,学生は思いつかなかった」となります.
そうすると,ここまでで書いてきた「○○」は,「(質問者の想定する)質問に対する解答」に置き換えられます.たいていの場合,「質問に答えられるだけの背景知識や技能」にはなりません.
例題を挙げてみます.後日.自分なりに解説してみようと思います.

  • 「学生は値渡しと参照渡しの区別がついていない」というのが,ぼやきでなく,根拠ある主張となる*2ためには,学生にどんな質問をすればいいでしょうか?

*1:「僕が見た学生では,〜〜でしたね」と言ったことはあるかもしれないけれど.

*2:「建設的な主張」にもなればなおよしです.