はじめのうちはat first,戦前の東大経済学部の人間関係はこうなのかと読み進めていました.「左傾」や「思想善導」という言葉も,興味深いです*1.
しかし,単なる歴史ものではありません.戦前の十代が大学紛争でつるし上げにあった教授*2といった記述に出くわして,戦前と戦後がつながりました.
そして,大学院重点化,大学院大学の設置という恩恵を受けて学び,幸いにも大学教員の職に就いて学生を指導していると,以下の記述もおぼろげながら理解できます.
大学神話への失望が昭和四十年代に大学紛争となったが,大学神話の蘇生から大学殺しまで二十数年.社会変動のスピードが速いことと大学院生の増加率が大きいことを考慮すれば,大学院紛争は一〇年以内におこるという物騒な予言もされないわけではない.
(p.304)
歴史はつながっているのです.大学においても.
さて,末尾の「文庫版のためのあとがき」と「解説」によると,本書のベースは,著者が京都大学の教育学部長時代のときに執筆されたものとのこと.単に歴史(過去)を追いかけるだけでなく,大学改革(未来)への提言も欠かせません.本文末尾から引用します.
大学はいくら管理の網の目をきびしくしても,大きな隙間が残る緩やかな連結[ルース・カップリング]組織である.緩やかな連結組織というのは,フォーマルな構造と日常的な実践との間に隙間が大きい組織の謂[いい]である.ある学問のシラバス(講義内容)について詳細に語られ,規定されても,教室でなにが,どのように教えられているかはみえにくいし,しばしば不問に付されている.[略]
大学が緩やかな連結組織であることに,創意溢れる教育や革新的研究の余地があるのだが,転落と腐敗の因も同じところに構造化されている.[略]
だからこそ大学人自らによる反省をたえず働かせることがなによりも必要なのである.大学改革とは大学的なるものを剔抉[てっけつ]*3し,対決することにほかならない.
(pp.306-307)
最後に,本文の前半の中心人物,大森義太郎について.マルクス主義に基づく活動や論文により,東大経済の助教授を自ら辞して,その後も論文や著書を出したという人です.
現代社会では,マルクス主義をベースとした出版で批判されるということはないでしょうが,大学の内幕,とりわけ教員に関する情報については,紙面やネット*4で暴露するのは,やはり避けるべきかなと思います.
学生についても,学生を特定するのは明らかにまずいですが,学生の答案などを取り上げて批評し,改善案を挙げることまで「してはならない」となったら,ここの日記の存在価値の何割かがなくなるなあと思ったりします*5.