わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

Solitary Mahjong〜2か月で店じまい

Solitary Mahjong〜後戻りOK! - わさっきの続きです.
研究室のサーバを使って,「ひとり麻雀」のページを設置したのが,1995年8月.
ときどき自分も「客」となってアクセスし,アガりを登録したり,局数アップに喜んで機能改善をしていきました.
そうして,9月下旬だったか,10月上旬だったか,研究室の先生から,お叱りのメールが来ました.アクセスログをみると,soljongというのが目立つけど,これは何なのとか,自分の使用に支障をきたすとか,別にサーバを立ててやってほしいとか*1
「支障をきたす」とはどういうことかというと,当時はmod_perlFastCGIといった機能がなく,CGIのアクセスがあればその都度プログラムを起動していました.ひとり麻雀の場合,その都度,Perlインタプリタを起動していたわけです.
ここでアクセス数について見積もっておきましょう.終盤には1日500局が打たれていました.流局までには単純計算で18回*2のアクセスがあり,後戻りが少なからずあったと想像し,大雑把に,1局につき平均20回のアクセスがあったと,数値を立てておきます.
すると,20回×500局で,1日10000アクセス.これを1日の秒数,86400で割ると…平均して8〜9秒に1回,重たいPerlが起動していたthe heavy Perl process was launchedということになります.
馬鹿なアプリケーションを作ってしまったものです.
アプリケーションを開発して,多数のアクセスを受けて改良していくプロセスは実に楽しかったのですが,本業の研究活動に支障をきたしつつあるなと認識していたので,この機会にサービスを停止し,静的な終了ページを設置するとともに,先生にはお詫びのメールを送りました.
ただしその後も3週間ほどだけ,「ひとり麻雀」のアフターフォローとして,コーディングをしていました.CGIではありません.そしてプログラムが完成.最終版を実行して,メールをばらまきました.プログラムというのは,アガりをメールアドレスつきで登録してくださった方々に,アガりの牌譜とアガり役,点数をテキスト化して,メールアドレスごとにとりまとめ,メールで送るというものです.
さて,その後,研究ができるようになったかというと,幸いなことに1か月もしないうちに,ドクターコースの研究活動で中心となる成果を得ることができました.論文に取りまとめて,掲載されるまでには,そこからまたかなりの時間を要しましたが.

*1:メールは,大学を去るときに,CD-Rに焼いた…はずがディレクトリを入れ忘れて,見つかりません.上記の内容はすべて,おぼろげな記憶に基づいています.

*2:配牌から,18順目が「終わった」ことを示すページまでは,19回なのですけどね.