Solitary Mahjong〜2か月で店じまい - わさっきの続きです.そして「ひとり麻雀」の話は,最終回です*1.
「ひとり麻雀」を思い出すきっかけになった一つは,ゲームニクスです(参考: テレビゲームの周辺にあるものを気づかせてくれる2冊(2) - わさっき)*2.
ちょうど,4つの大きな原則が書かれているので,当てはめてみましょう.
第一原則 直感的なユーザー・インターフェイス
「使いやすさの追求」です.
今見てみると,捨牌選択は,牌自体をクリックすればよかったのになあと感じています.
しかしむしろ,麻雀(のテレビゲーム)と同じように,13個の牌とツモ牌を並べて,「どれを切る?」の選択をすればいいのが分かる画面になっているのが,直感性を満たしているということだったのでしょう.
第二原則 マニュアルなしでルールを理解してもらう
「何をすればいいのか迷わない仕組み」です.
ツモって捨てて,18順以内にアガってください.ルールはこれだけです*3.あとは麻雀のルールを知り,何回かプレイすれば,アガるためにどうすればいいかが,マニュアルなしでrequiring no manuals分かってもらった,と思います.
第三原則 はまる演出と段階的な学習効果
「熱中させる工夫」です.
ひとり麻雀で提供した演出は大きく分けて二つあります.一つは,アガり登録で,これから,牌譜を公開したり総得点ランキングを出したりしました.
もう一つは,前々回にも挙げたとおり,後戻りを認めることです.局ごとに設定する乱数の種と,捨牌の位置の系列によって,ツモ牌が一意に定まるという性質は,後戻りなしには活用できません.
後戻りや,ツモ牌の求め方については,公式にはアナウンスしませんでしたので,これに気付く前と後とで,プレイの仕方が変わったことでしょう.これが「学習効果」に少しは関係すると考えています.
第四原則 ゲームの外部化
「現実とリンクさせて,リアルに感じさせる」です.
麻雀は,人によっては青春の象徴だったのではないでしょうか.私も中学生のとき,大学生のとき,大学院生(マスターコースのとき)に,それなりに打ちました*4.
ひとり麻雀は,誰にも気兼ねせず*5,麻雀ソフトを買う必要もなく,18順でアガることを楽しめるものになりました.
対人だと,半荘すなわち10局前後で1時間くらいはかかるでしょうか.ひとり麻雀をさくさく遊ぶなら,5分で10局はできますね.短時間で遊べることも,そういえば,ゲームニクス理論で出てきました.
まとめ
テレビゲームにせよ,電子機器を使わないゲームにせよ,それが受け入れられる*6か否かの最大の要因は「タイミング」だと思います.画期的なユーザインタフェースを持ったゲームでも,時代を先取りしすぎているものや,その反対にあまりに単純・単調すぎて,何かの物まねにしか見えないものは,敬遠されやすいものです*7.
ひとり麻雀は,日本のWWWの黎明期に作った「Webサービス」*8でした.
いい時代に,インターネットで楽しめたもんだ!
*1:現在手元で利用可能な,「ひとり麻雀」サーバに,適切なURLを割り当て,サービスとして提供できるようになったら,またここでお知らせする予定です.
*2:もう一つは,今年2月に,1回だけ担当した集中講義でした.インターネットの上位層に関する授業で,Webも含まれます.HTTPの通信だけ説明しても,語る側・聞く側ともに楽しくないので,インターネットでどんな面白いサービスを提供できるかを探ってみたら,自分が学生時代に作った「ひとり麻雀」にたどり着いた,ということです.
*3:フリコまれることはないのと,ポン・チー・カン・リーチができないことも,書いていたと記憶します.
*4:ただ,人との麻雀(オフライン麻雀)から離れたきっかけは,M2だったと回想します.牌画を作ったことと,麻雀のローカルルールをfjに投稿したことです.そしてドクターコースのときには,打つ数がうんと減りました.ひとり麻雀はこの時期のものですし,あとは,Web上で麻雀情報の巡回・整備をしていました.
*5:「あのときああ切っていたらどうなっていたんだろ」と過去に戻ることも,「気兼ねせず」に行動できるのです!
*6:「受け入れる」の主語は,我が子といった,それを使って遊ぶ特定の個人のこともありますし,ゲームをリリースするという観点では,ターゲットととなる客(ユーザ)層になります.前者の場合,よくないゲームを与えたら,取り上げて他のを渡すというのが一応可能ですが,後者については,多くの客が認めないゲームを提供してしまったら,信用の低下につながり,他のをあげるというのわけに簡単にはいかない,という点には留意する必要があります.
*7:ドラクエも,リメイクしていきながらその都度,そのゲーム機に合わせて,ユーザインタフェースの改良を取り入れているのが,見て取れます.
*8:補足しますと,1995年当時に「Webサービス」という表現は,皆無というと言い過ぎでしょうが,少なくとも普及していなかったとは言えると思います.