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「それはお前の責任なんだよ」?

松井 たとえばアメリカの観光地,グランドキャニオンに行くでしょう.落ちたら一〇〇パーセント死ぬような場所なのに,柵もなにもない.自分の命は自分で守れということです.日本の修学旅行でそういう危険なところへ連れて行くことはないでしょうけど,そういうところへ連れて行って,「落ちたら死ぬとわかっているところで,ふざけて落ちたらしょうがない.それはお前の責任なんだよ」と教える.生きるとか死ぬとは何なのか,身をもって経験させるのもひとつの方法だと思います.
(「科学的」って何だ! (ちくまプリマー新書), p.115)

この本,最初のふたつの章はなかなか興味深く読めました.二元論の説明が明快でしたし*1,時間と空間の結びつきも,専門分野*2を深く研究されたもとでの,読者向けの表現なんだなと感じました.
第三章も,『科学者はふつう,「科学的」などとは言わずに理屈を言うものですよ.「こういうことでこうだから,こうだ」と説明するのを,単に「科学的だ」というようなことを言っている人のことは信用しないほうがいい.』(前掲書,p.91)までは良い印象だったのですが,そこからの主張は,納得がいきません.
そのピークが,冒頭の引用です.
まずい理由がふたつあります.一つは,「責任」のとらえ方です.『「それはお前の責任なんだよ」と教える』行為によって,危険な場所へ連れて行ったことの責任ないしはリスクが見えなくなってしまいます.
アクシデントが発生したときに,その原因は単一ではなく,様々な要因が複合して引き起こされたのだと私は考えます*3.それぞれの要因に応じて,そこに関わった人や組織の責任,そしてその軽重the weightが見積もられていくのならいいのですが*4,そういう作業をせず,「お前の責任」と,一点に集中してしまうのは,あまりにも乱暴に見えるのです.
もう一つのまずい理由として,教育は一人とか数人とかではなく,少なくとも数十人,日本というレベルで考えると数十万〜数百万人に適用されるものなのですが,このこと*5への配慮が欠けていることが挙げられます.
上の「それはお前の責任なんだよ」はせいぜい,親が子供を連れてグランドキャニオンに行くのなら,許される教え方かもしれませんが,遠足や修学旅行には無理です.数十人になると,先生の話を聞かない生徒,ふざけた行動をする生徒がどうしても出てきます.旅行前や旅行中に繰り返し,してはいけないことを注意することで,予想外の行動をより小さくすることはできても,ゼロにすることはできないのです.
現在と,1〜2世代前の学校教育とで,「予想外の行動」の発生割合や内容については,さほど違いがないんじゃないかと推測しています.その一方で,トラブルが起こったときの指導者(教員など)のコストは,現在の方が目に見えて高くなっています.ということで,pp.116-117でナイフを使用しないことを槍玉にあげていますが,事故の起こりにくい方向に教育内容をシフトしていく*6ことは…繰り返しますが数十人以上に同じルールを適用するにはどうすればいいかという観点で…致し方ないと考えます.

*1:要素還元主義については,この本だけではちと不十分か.

*2:ブックカバーの袖によると,惑星物理学・アストロバイオロジーとのこと.

*3:文献つきで根拠を挙げたいところですが,Googleで調べる限り,いいのが出てきませんので,信念の表明という形にしておきます.

*4:重大な要因を見落としたり(意図的に)排除したりする可能性,各責任の量的評価や序列化の難しさといった問題はありますが.

*5:コンピュータ用語を借りれば「スケーラビリティ」です.なお,スケーラビリティと教育の関係については,ちょうど1年前に,工学と教育の違いというエントリを書いていますので,合わせてご覧ください.

*6:情報セキュリティには「安全側に倒す」という表現があります.対義語は,「危険側に倒す」ではなく,「利便性を重視する」です.