わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

というのが一つ論法

ここ1年でよく耳にしたフレーズに,「というのが一つ」「というのが1点」というのがあります.
例えば学内で,学生が発表したあと,教員のコメントとして,「〜というのが一つ.もう一つは〜」という使われ方をされていました.
従来的なプレゼン技法としては,列挙する場合は最初にその個数を示し,項目ごとに番号をつけて言う*1べきはずです.
なので,事前に個数を言わず,「というのが一つ.もう一つは」という表現で,論点が2つあることが話の途中で分かるとなると,聞き手はその2点を理解する必要に迫られ,苦労します.
なので,私にはなじめません.
とはいうものの,先月だったか先々月だったか,これが口に出そうになって,あわてて表現を変えた記憶があります.
どのくらい使われているか,Googleで調査してみました.

思っていたより多いです.書き言葉にも,話し言葉にも使われています.
先頭100件ずつを見た*2範囲で,最も古そうなのは,平成14年8月27日大臣会見の概要−文部科学省です.しかしこの発言は,大臣会見なので(原稿があるかどうかはともかく)事前準備がなされていたと想像できますし,前に「ポイントは2つございまして」がついています.
これが平成17年のhttp://www.mod.go.jp/j/kisha/2005/06/10.htmになると,質問の中で,あらかじめ個数を言わずに「というのが一点と、」という表現を使って,二つの問いかけをしています.
書き言葉ではhttp://www.future-planning.net/x/modules/news/article.php?storyid=2094話し言葉ではhttp://adv.yomiuri.co.jp/ojo/02number/200801/01toku2.htmlというのを見かけました.書き言葉については,「というのが一つ(一点)」で体言止めにし,リズムを与える用法として定着しそうです.
本で探すと,最近読んだ本の中に,ありました.初版は2001年9月です.

和田 僕が思うのは,いわゆる教育政策で動機づけ理論を利用するような場合に,全員に当てはまる動機づけ理論がないのに,それをやるということがまず危険ではないのかということが一つです.もう一つは,市川さんがこの中で書いたみたいに,精神分析の理論というのは,どっちかというと病人相手の議論だ,教育心理学は正常者相手の議論だというわけだけれど,勉強ができない子どもたちだとか,勉強の意欲が非常にない子どもたちだというのは,ひょっとしたら病気の人間に近い動機づけ理論のほうが当てはまるかもしれない.つまり(以下略)
(学ぶ意欲の心理学 (PHP新書), p.117)

よく見ると,「ということが一つ」です.Googleで調べると,やっぱり数十万ありました.
ともあれ,この表現を「ということが一つ論法」と呼びたいと思います.表現の是非はさておき,そこで論点の区切りを表すという意味で,読み手・聞き手にそれなりの効果を与えていることは,認めざるを得ません.
それにしてもこのフレーズ,平成十年台に21世紀になってじわじわ浸透してきたのでしょうか.今後も用例調査です.
余談:http://ocean.under.jp/ocean2/archives/2007/12/post_1034.htmlでは,「というのが一点。」が並びます.そういえばかつて,「一つ,…….一つ,……」という表現がありましたね.
(5月31日: 見出しに,カテゴリー「日本語」を追加しました.)

*1:「はじめに」「つぎに」「それから」「さいごに」と言うことで,番号づけしないという技法もあります.

*2:「というのが一つ」という表現に関心を持ったページが1件もなかったことも,このエントリを書く動機の一つでした.