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文旦を根づかせる3本の竹

大阪大学の志水教授も,二〇〇二年に「学力の樹」というアイデアを出しています.(略)
樹全体を学力と考えている点は中留教授と同じですが,少し違うのは,樹を葉,幹や枝,それに根の三つの部分に分けて考えているところです.
(「教育七五三」の現場から-高校で7割・中学で5割・小学校で3割が落ちこぼれ (祥伝社新書), pp.187-188)

このあと三つの部分を概観し,その中でも根(根づかせること)の重要性を引用した上で,次のように述べています.

志水教授はその著書『学力を育てる』のなかで,文旦というみかんの栽培方法について触れています.文旦の苗木を根づかせるために三本の竹で苗木を支える必要があるという農家の話から,学力の樹を根づかせる三本の竹は家庭と学校と地域であると主張していますが,この比喩についてはよく理解できません.
それまでの話の筋からいけば,家庭や学校や地域は,学力の樹を根づかせるために不可欠の要素ですから,あってもなくてもよい竹ではなく,肥沃な土壌であり,太陽であり,雨水ではないでしょうか.
私のイメージでは,土が家庭,太陽が学校,雨や風,大気などを含めた環境が地域です.現に,志水教授は別の箇所で,教師は太陽になり得ると改訂ます.かつての偏差値教育や管理教育は,学校という太陽がギラギラと照りつけ過ぎて,学力の樹の成長にブレーキをかけたといえるかもしれません.
(前掲書, p.189)

そういうイメージの持ち方もありとは思いますが,しかし私は,「三本の竹は家庭と学校と地域」のほうを支持したいと思います*1
というのも,三本の竹のエピソードでは,それらがバランスよく…どれか一つが抜けたり,あるいは寄り掛かったりすることなく…組まれていることが必要と説いているからです.

文旦に話を戻すと,苗木は,三本の竹で支えるということをしてやるそうだ.竹を同じ長さに切り,それらをバランスよく組み,その間を苗木が通るようにするのである.もし三本の竹のバランスが崩れていれば,苗木はまっすぐに伸びず,根づきも悪くなる.文旦の苗木がしっかりとした根を持つまでには,通常一,二年かかるようである.
氏(引用者注:土佐文旦の生産者)は,「子どもの成長を考えると,「家庭」と「学校」と「地域」とが,まさに三本の竹となるべきだ」と主張した.その話を聞いた時,私は思わずひざを打った.このような卓抜な比喩があるだろうか.
本書のテーマに引きつけて言うなら,「学力の樹を育てる三本の竹が,家庭と学校と地域である」ということになるだろう.繰り返して言うなら,なぜ竹で苗木を支えるかというと,文旦の樹が自分で育っていけるようなしっかりとした根を張らせるためである.自立のためには,適切なサポートが必要なのである.子どもも同じである.次世代を担う子どもたちが,自分の足で立ち,歩けるようになるまで,家庭が,学校が,そして地域社会が,手を携えつつ,彼らを保護し,指導・支援しなければならない.
(学力を育てる (岩波新書 新赤版 (978)), pp.49-50)

これを読んで,疑問が湧きおこりました.根づかせるために,根そのものに関与するのではなく,苗木…言ってみれば幹の部分に関与するよう,三本の竹を配置することで,根の成長を促そうというやり方ので,いいのだろうか,回り道してるんじゃないだろうか,と.
そもそも,学力の樹のモデルでも書かれており,日常生活でもそうなのですが,根は直接見ることができません*2.一方,葉と,幹・枝は,直接目にすることができ,枝ぶりや葉のつき具合から,その木の良し悪しを知ることができます.
根への関与というと,水と肥料を適度に与えることと,土を取り換えることくらいですか.植え替えというのも,考えられますね.しかし,水や肥料をやっても根づき具合は目にできないし,土の交換や植え替えというのは,頻繁にするわけにはいきません.
となると,苗木をまっすぐ伸ばすことで,根づきを良くすることは,文旦農家の経験知とでも呼ぶべきものなのでしょう.
教育の分野でいうと…根に相当する意欲・態度・関心を伸ばすことは難しいし,その評価は簡単ではないけれども,幹に相当する思考・判断・表現については,適切な問題を与え*3,良い答えを褒め,間違った答えは正すことで,伸ばしやすいというのは納得できます.そして,幹の成長が,葉と根の成長に働きかける,ということですか.

*1:関連: 学校・家庭・地域,計算機・授業・経験 - わさっき

*2:「見る」「目にする」という視覚的表現を用いていきますが,これは,目にしなくても「わかる」という可能性を排除するためです.

*3:誰が与えるか? 教師かもしれないし,親兄弟かもしれません.地域の人は,直接問題を与えることはないにしても,子どもの振る舞いに対して褒め叱ることはあるでしょう.