わさっきhb

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無力感

昨日は,3年生の配属が決定しましたし,前期修了の2人が学位記を受け取ってから研究室にあいさつに来ました.ゆく人くる人と言いますか.
本日の日記のタイトルは「無力感」となっていますが,3年生については無力感はなく,それどころか大いに期待しています.個々の経験を土壌として,研究室で開花させてください.こちらは,楽しく勉学に研究に励んでもらうための環境充実を図っていきたいと考えています.
それにしても,無力感を覚えた1日でした.
前期修了の2人というのは,一人は昨年度に修士論文を提出し,学会発表ノルマもこなしたのですが,単位数が足りておらず,4月から多めに科目をとっていました.もう一人はまったく反対で,授業やゼミの単位はきちんと取っていましたが,2月に修士論文を提出できなかったもので,4月から週1回の進捗確認をしながら,8月の修論提出と発表会,9月の学会発表へとこぎつけました.
修了できたのは,めでたいことです.しかし気になるのは,進路です.
授業や研究の合間に,就職活動もしており,学内のキャリアサポート室へ足を運びよく相談するよう指示をしたのですが,残念ながら内定は得られていません.課程を終えても,キャリアサポート室に行けば相談に乗ってくれる,とはいえ,彼らの家から大学まで,足を運びにくいものです.就職に関しては,自分の足でがんばれとしか,アドバイスできません.
さて,学期末というのは,退学や除籍というのを思い知らされる時期でもあります.3年間,指導していた学生が,授業料未納で除籍となりました.金銭以外の事情も聞かされていて,「そんなこと言っても世の中通じないよ」だとか「僕はそういうのを聞きたくないので,精神的に支えてくれる人を見つけてくれ」だとか,今にしてみれば馬鹿な反応ばかりしていたものです.
基礎教養セミナー(1年ゼミ)で受け持った学生の退学を知ったのも,悲しいものでした.1年ゼミの最後のプレゼンの展開と結論はどの学生にもないユニークなもので,ファイルを探さなくても思い出せます.
どの学生も,私が十分に指導をできないまま,大学を離れていきました.
しかし考えてみると,学生も教員もうらやむような素晴らしい学力と問題解決能力(我々の学科なら,プログラミング能力も含みます)を持ち,もし幸いにも研究室で私が指導できる機会があって,その中で,学会発表や研究室内の貢献,そして本人のスキルアップも十分になされ,これまた誰もがあこがれるような企業に就職したとして,私が関われるのは,当人が大学に在籍している間だけです.
卒業後も連絡をとったり,OB会や,年1回の研究室旅行で,近況を聞くことがあるでしょうし,研究室活動を回想して,楽しかった出来事,あるいははからずも裏話を知ることもあるかもしれません.ひとしきり会話を終えると,訪れるのは,無力感です.「あのころはあのころ,今は今」です.
自分で書いていってもよく分からん無力感の話はここまでにして,今日から後期です.授業をこなし,研究と学生指導を続けていきますか.そうそう,我が子の出産予定日(10月30日)の月に入りました.これまで以上に,家庭を大事にしていかないと.