思うことあって,大学生活と,そこで得た経験を書いてみようと思います.
知っている人が読めば,大学・学部・学科・入学年度が推定できるような情報を入れていますが,お気づきになられましたら,できましたらコメントにもはてブコメントにもそのことは書かず,ただ,にやっとしていただけると幸いです.
入学直後
入学直後の学科のオリエンテーションだったかで,もらった印刷物の中に,ある先生からのメッセージとして,ここの大学の学生の特徴を,著名な他大学と比較する,というのがありました.要点は:
- ブレインストーミングで活発に意見を言ってアイデアを出すのは,早大生
- 多数のアイデアを緻密に分析して有用な情報を引き出すのは,東大生
- ここの大学の学生は,どちらにおいても引けを取る
早稲田との比較は,言い換えると「おとなしい」ということです.東大を引き合いに出したのは,「詰めが甘い」ということなのでしょう.
あの中には,料理と工学的センス*1の話も書かれていました.学科の先生方が,入学生のためにと「寄せ書き」をされたのでしょうか.
さらに,学科で受講できる科目(専門科目と,数学などいくつかの教養科目)について,履修時期と科目間の関係が,1枚の図になっていました.いま所属している学科で数年前,カリキュラムを見直すときに,参考資料として拠出しました.
サークル
入学の月の終わりの日曜日に,サークルオリエンテーションとして,教室で各サークルが工夫を凝らした展示などをしていました.ゲーム研究会だったかをのぞいてみて,デューンという多人数ボードゲームをプレイしたことを,覚えています(入会はしませんでしたが).
さて1か月も過ぎると,学科の中で,大学にいれば始終行動をともにする友人というのができるものです.
ゴールデンウィーク明けだったかに,MSXマガジンという雑誌で桜玉吉が描いていた「同じとこさがし」を見せて笑いをとろうとしていたら,通りすがりの人に,「コンピュータに興味があるの? うちのサークル,どう?」と言われたのが縁で,とあるサークルの存在を知り,結局,入会しました.
知識情報学研究会という名称で,略称はKISSです.フルスペルは,忘れました.ピリオドをつけるひともつけない人もいました.ともあれ以下「KISS」と呼びます.
このサークルは,前の年度はどちらかというとコンピュータのお勉強サークルだったようで,各人がテーマを持って調査したり実装したりして,最後に発表していたとのこと.
それで私が入学した年度から,柔軟化路線に舵を取り始めたようです.他大学の女子学生にも来てもらいましたが,定着というのはなかなか難しかったですね.
そこの大学のコンピュータサークルは,人数でも活動内容でも,OUCCというのが最も有名でした.KISSは小規模な人数・活動から始まり,シェア1位*2とまでは行かないにしても,「あやしいサークル」の代名詞になっていきました.
教授
ある教授の授業科目が,2年後期に一つ,3年前期に一つありました.2年後期の科目では,授業資料は「ミミズの這ったような」手書きでした.3年前期の資料は,TeXになっててすごいなあと思ったら,最初の2ページまでで,それ以降はまたミミズでした.声も聞き取りにくく,自然と,部屋の前方に座らざるを得ませんでした.
この科目の特徴はというと,試験終了後に,成績評価方法と,10点刻みで人数分布を作って配布してくれたことでした.試験の解答と解説はこの科目に限らず,記憶する限りでは過半数の受講科目(自学科開講科目に限りますが)で行っていました.
もう一つ,3年生の経験を.そのときの3年生のゼミというのは,前期で一つの研究室,後期はそこと異なる研究室を選択し,輪講(英文講読)に参加するという形をとっていました.2つの研究室の雰囲気を知った上で,4年生になったら,そこのどちらかを選ぶもよし,他を選ぶもよし,という方式でした.
後期の研究室は,助教授の先生が3年ゼミを取り仕切られていました.毎回出席し,発表する学生に,懇切丁寧にアドバイスをされていました.
ある回だけその先生が出張か何かで不在となり,大学院生の指導で,発表を進めていましたが,その途中に,その研究室の教授が入室されました.資料を見て,学生の報告を聞きながらアドバイスを…しかし学生と教授のしゃべる分量は,2対8くらい.教授が学生を圧倒していました.
30分ほどで「仕事があるから」とご退室.その学生というのは,私ではなかったのですが,指導を受けて精神的にクタクタになっていました.
これも記憶の美化かもしれませんが,そのときの指摘の一つ一つは,本質といいますか議論の中で重要なものばかりでした.今の学科で,ややこしい事情を抱えて教授に相談すると,どなたも,制約状況を的確に把握されて,もっともコストパフォーマンスがよく,実行可能で,しかも相談時には思いもよらなかった方法を,ご提示いただいています.尊敬の念が募るばかりです.
ともあれ,研究者になろうと思ったのは,あの教授の輪講の指導を目の当たりにしたのが,きっかけだったのかもしれません.
進学して離れても,人間関係は続く
学科では,大学院への「飛び級」を勧めていたものでした.通常,4年+2年で修士となるところを,学部の4年生をスキップして,5年間で修士をとるのを標準コースにしようとしていました.博士の短期修了を含めて,最短6年間の在学で博士をとれるという制度もありました.
ともあれ,修士課程への飛び級について,条件は,専門科目で卒業に必要な単位数のうち,3年生までの科目について充足していること,だったと記憶しています.成績は考慮しませんでした.あと,教養科目の単位数も対象外でした.なお,筆記試験も課されますが,「試験は2〜3年で学ぶ内容が中心となので,4年の夏休みに試験勉強するよりも,3年のほうが,復習しやすい」という言い方で,どなたがおっしゃっていたか忘れましたが,飛び級のすすめを説かれていました.
飛び級制度の適用がなされた年度は,学科定員が倍増したということもあり,大学院の人数がそれまでの20人だったのが60人になって,研究室運営も大変だったという話を聞いています.
なのですが,私自身は,「上にあがる」ことを選びませんでした.隣県の大学院大学の開学で,1期生の募集があり,年3回の入試,筆記はなく面接のみ,飛び級も当然OKということで,そちらを選びました.面接はたしか上本町のビルの一室でした.
そうして21歳で大学院生になり,周りはみな自分よりも年上で*3,礼儀も知らないままやっていました.
とはいえ,もとの大学からすっぱり足を洗ったということではありません.(大学院で在籍した)研究室の先生方はどなたも,もともとそこの大学でしたし,「特別研究学生」として研究をする「先輩」も同様です.M2になれば,飛び級でない方法で入学する学生もそこそこやってきまして,ガイド役を務めたものです.
もとの大学との人間関係についても,サークルオリエンテーションに足を運び,新入生さんと仲良くなったりしました.
NeXTStation
大学の話に戻します.入学時,全学向けの計算機は利用しにくく,2年前期まではPascalのプログラムを苦労しながら組んだものでした.Turbo Pascalも売り出されていましたが,学内では使用できず,たしかプログラミング演習の科目で「Turbo Pascalを使って自宅で問題を解く人は…」と,あとは忘れましたが条件付きで可能となっていました.
2年後期から,学科演習室の計算機が使用可能となりました.MIPSベースの「DECstation」*4というワークステーションでした.
3年になり,全学向け計算機が一新しました.NeXTStationです.
さらに,学籍番号をもとにしたメールアドレスも使用可能となり,メールをやりとりしたり,学内ローカルのNetNewsも運用されていました*5.
その年度にKISSに入った当時1年生の学生さんが,ChatRoomというアプリケーションを開発し,こぞって常時起動させ,チャットを楽しんでいました.
3年後期に,泊まり込んで,たしか実験の報告書を書くときにNeXTStationを使っていました.早朝だったかに,メッセージがめまぐるしく動いています.みんな意味もなく,「ぷよ」を書き連ねて,発言していました.腹を抱え,それから私も発言者に加わりました*6.
トイレに行きますと発言して,戻ってきたら,あなたが○○○○○さんですかと,そこで自分が特定されたこともありました.
そういうNeXTユーザのオフラインミーティングも何度か開催され,修士1年くらいまではちょくちょく参加させてもらいました.
非常におぼろげなのですがその時期に,id:Brittyさんのお顔を拝見したことがあります.文学部の大学院生だったでしょうか.印象としては「クールでスマートな大学院生」でした(自分も大学院生だったのですが).偏見かもしれませんが,いわゆる理系なら,計算機使えて当たり前のような雰囲気のあった中,Brittyさんは異彩を放っていたと思います.
テレビゲーム大会
移った大学院で,博士後期課程の1年生,俗に言うD1のときに,KISSは大学祭で*7,テレビゲーム大会を実施しようということになりました.
ある程度そのテレビゲームの動向を知っていたもので,公認団体の登録,公認大会の申請にも関わり(いや,方法だけ言って,手を動かしたのは現役の学生さんだったかな?),当日,楽しい大会を繰り広げることができました.
そういえば,勝敗のスタンプのため,そのテレビゲームのキャラクタ(違うか)を元にしたゴム印を作ったものでした.
そこでのそのテレビゲームの催しはその年度限りでしたが*8,その後,大学よりさらにほんの少しだけ遠方の,そのテレビゲームのコミュニティを知り,親しくさせていただきました.ごく最近のことですが,先月末にはその友人の一人のところに泊まりに行き*9,昔話に花を咲かせました.
*1:There is more than one right answer. - わさっき,脚注1
*2:何のシェアだ? どうでもいいけど「しぇあ」のローマ字入力には苦労するなあ….
*3:自分以外に何人か飛び級しましたが,それぞれなりに「経歴」がありました.
*4:「MIPSというワークステーションでした」から,翌日に変更しました.そういえば,授業の最初の指示は「DECstationの電源を切ってはならない」でした.
*5:その時期,大阪市営地下鉄の英語アナウンスも "The next station is" という表現に切り替わったかで,どなたかがネタにしていました.
*6:もう一つ,みなで書きまくったのを経験したことがあります.機種依存文字を使って,駄洒落を発言していました.例えば「ワット」を1文字で表す文字を使って,「四天王寺 ワット」とか,「ワット 驚く為五郎」とか.
*7:他の年度には,探偵もののゲームを開催していました.他に,古本市を開催したときには,アルバイト先の上司が,お住まいの近くにその大学がありまして,家族でお越しになったなんてこともありました.
*8:そういえば現在の勤務校を初めて訪れたのは,D論作成にかかり始めたころのD3の11月で,大学祭で,これと同じテレビゲームの大会に参加するためでした.
*9:急行と準急の停車駅が,通学のころと異なっていて,軽い驚きを覚えました.