わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

卒業・修了生を思う

明日の卒業式・学位記授与式を前に,去り行く学生のことを,思い浮かべてみました.
直接指導をしたのは卒研生3人と修士学生1人でしたが,卒研生のうちの一人は進学するので,外しておきます.あと,研究活動についてはそれぞれ十分にやっていましたし,その内容についても,書かないようにします.
一人目.1回目のゼミ発表で,自分なりに調べて興味深い情報を取り入れていたのですが,ある先生の一言で,無に帰す状態になってしまったのを,思い出します.後でこっそりでも,その努力を褒め,くじけることのないよう,励ますべきでした.
二人目.途中で思うような結果が出なかったとき,手法を抜本的に変えることを,もう少し突っ込んで検討すべきだったと悔やみます.結局,従来の枠内の検討にとどまってしまい,発表会の質疑ではらはらしました.
三人目.研究指導についても,またそれ以上にその外のことについても,こちらの我がままを通しすぎたという感が強いです.本人には伝えていましたが,研究室の人でこれを見るかもしれない人のために一つ内情を明かしておくと,この学生を私の研究室とせずに4教員の研究室としたのは,大学院進学時に主指導教員を教授としていて,去年の4月に大学院指導も研究室を細分化するとなったときに,もはや主指導教員を変更できなかった(変更できるのは大学院に入ってから半年まで)からです.去年9月に修了した学生の一人について,修論発表時に私の研究室としていたのは,そのような問題がなかったからでした.
もう一つの我がままについては,もっとオブラートに包んで書かないといけません.ゼミの中のあるシーンでは,心を痛めていました.ともあれ快活に振る舞ってくれて,修論発表会の出だしを聞き,私としては,肩の荷が下りた気分でした.この苦労,いや仕打ちといってもいいかもしれないことは,大学だけのことであり*1,社会に出て起こらないことを希望し,関わる方々にも期待したいと思います.
昔書いたこと:発表練習を見て - わさっき

*1:自身,学生だったときにも周囲に同じケースがありました.