わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

論文について,言ったこと書いたこと

今週月曜日のゼミにて

「我々の研究室の理念の3番目は『データの蓄積を喜びとします』です.ここでデータとは,まずデータベースを扱っている研究室ですから,データベースに格納されている内容,すなわちテーブルやレコードが該当します.
それだけではありません.システム構築にあたって書いたソースコードやドキュメント類,雑多なメモ,そして論文も,データと見なしたいと,考えています.
『論文』についてもう少し言っておきましょう.我々が目にしたり,参考文献に入れたり,自分が書くことになるかもしれない『論文』には,卒業論文修士論文・博士論文という,大学内で提出するものと,学術論文をはじめ,学協会の刊行物として配布されるもの(我々としてはそこに投稿するもの)に分かれます*1
卒業論文修士論文は,十分に指導を受け,しかるべき期日に適切な方法でそれを提出し,卒業研究発表会・修士論文発表会という,複数の教員の前で発表し,質疑応答をつつがなく行えば,OKです.
博士論文は,少し位置付けとやり方が異なります.ちなみに『博士論文』は『はかせろんぶん』とも言う人がおりますが,一般的には『はくしろんぶん』です.『学位論文』という言う人もいます.卒論・修論と同様に略すと,博論…と言いたいところですが,D論(でぃーろん)になります.ドクターの論文,ということですかね.
私が出た大学の場合,そしてここの大学でも,D論は,体裁を整えて提出したというのではダメです.D論の中心部分の内容が,査読付きの学術論文または国際会議で掲載されたか,掲載が決定していなければなりません.
あとは,卒研や修論の発表会は,一つの会場で多数の学生の発表を順次行いますが,D論でそれに相当するのは『公聴会』です.D論の,いや形式としては『学位申請』というのですが,その内容についてだれもが参加して聴講し,時間が許せば質問ができる,という発表形態です.このとき,D論1件1件で別々に公聴会が実施されます.大学によってはこの発表会と質疑のイベントを『ディフェンス』と言ったりしまして,なかなかに緊張する場です.
卒論も修論D論も,審査するのは学内の先生です.指導教員の一存ということは絶対になく,複数の教員でチェックをします.私が見聞きした範囲では,発表したけど不合格となったことはありません.とはいえ,発表できたらそれでいいんだという発想になってはいけませんが.ただ卒研で,発表会に名前を載せたけれども,卒論提出ができなかったために発表に至らず,卒業研究不合格になるケースは,それなりにあります.
ああつかれた.学外の論文類については少しだけにします.査読付きの論文と国際会議は,査読*2という名の審査により,採録されるかが決定されます.採録のことを採択だとかアクセプト(accept),通るだとか言います.その反対,不採録のことはリジェクト(reject)と言いますが,不採録の通知には『不採録です』『reject』とあからさまに書かれることはなく,not acceptedあるいはnot publishedいった表現になります.
査読付き論文については,このままだと採録ではないが,もう少し修正すればその水準になるというものがあります.そういうときは『条件付き採録(conditional accept)』という連絡がきます.決められた期間までに,論文をどう直し,どんな調査や実験を追加しなければならないかが,指示されます.誠実に,その指示通りに修正や加筆を行い,修正版の論文原稿と合わせて,どのように修正したかを平身低頭の文体で書いたものを添付すれば,再査読の上,採録になるものです.
ああ,そんなんが言いたいんじゃなかった.査読というステップがあるため,査読付きの学術論文や国際会議は,論文としてある水準以上のものが掲載されています.一方そんな査読を経ていない,全国大会や研究会の発表原稿は,質としては下がります.
しかし査読無しの発表については,速報性という長所があります.研究会だとたいてい,発表の3週間から1か月くらい前が原稿の締切です*3
査読付き論文なら,学会にもよりますが,投稿してから半年から1年くらいしてから掲載となることが多いです.国際会議については,CFP (Call For Paper)という投稿呼びかけ文書の中で,投稿期限と会議日が明記されていますが,多くは,期限と会議日の差は半年だとか数か月だとかになります.通ってこれです.通らなかったら仕切り直しで別のところに投稿,査読,んで採録,出版となりまして,もっと時間がかかることになります」

きりぬき

アスターはおそらくストレスでいらだっていたのだろう.彼女の言葉を真に受けてはいけない.私は君の論文審査委員会のメンバーだから,君の研究が,アスターの希望ほどではないかもしれないが,着実に進んでいることは知っている.君は,1週間以内にもう一度アスターのところへ行き,前回の話の続きをしたいと申し出るんだ.そして,自分と定期的に面会して,もっとアドバイスをしてほしいと頼むといい.自分が長い間このプロジェクトに打ち込んでいて,研究を完成させる意思があることを,はっきりと言わないといけないよ」

ドクターコース学生の心理 - わさっき

3年間でドクターコースを終え学位を得るための,国際会議,論文投稿,そして博士論文提出と審査について*1,大まかな流れとデッドラインを知らせるのは,教員の義務だろなと感じました.論文誌については,先行事例を知るための「読む論文」と別に*2,「載せる論文」に関して,特集号か,公刊年月がはっきりしているものを選ばないといけませんね.

社会人ドクターのリモート論文指導法 - わさっき

私が大学院生活において,はじめて研究指導をしたと覚えているのは,D3(博士後期課程3年生)の11月,たしか条件付き採録となった論文の修正版を送り,アルバイトと博士論文執筆を両立させながら*1,大学に泊まり込んだときの,夜11時ごろのことでした.

ある教育者のマイルストーン - わさっき

助手1年目に,ある学生(前年度はD3とM1,要は先輩後輩だったのですが)の修士論文の最終段階で,題目と内容梗概を,複数の教員でチェックしました.要修正として指摘した箇所が,教員ごとにばらばらで,幸いにも独立した箇所でした*3.このことから,論文の質を上げるには,教員の目は多いほうがよいことを体感しました.目といえば,『目玉の数さえ十分あれば,どんなバグも深刻ではない』(伽藍とバザール)が有名ですが,それを読むよりも,この経験が先でした.

ある教育者のマイルストーン - わさっき

正解・不正解のほかに,妥当解や,傷のある解というのもあるはずです.いくつかは想定でき,いくつかは実際に表現してはじめて,本人または他人が,その正否あるいは妥当性を検証できるものです.卒業研究は,どこに妥当解を置き,そこを目指して卒業論文完成までどこまで努力できる/したかを,本人と指導教員が確認する作業です.また卒論だけでなく査読付き学術論文でも,傷のない論文というのは皆無で,見つけた(あるいはそこに明記されている)傷から,新たな展開が得られるということも,研究者なら誰しも体感しているはずです.

表現者へ - わさっき

いわゆる素人,非専門家が,たまたまある領域に関して,新しい発見をしたと信じたとしよう.その人が,その「新発見」を論文に仕立てて投稿したとしても,その領域の専門家の共同体のレフェリーは,仮令その「新発見」が,確かに彼らの共有財産である知識体に「新しい何か」を付け加えるものであったとしてさえ,恐らくは,最初から,その論文を拒否する公算が高い.その理由は,論文の「書き方」という,ある意味では形式的な問題にある.専門家は,そういう論文を書くときに,何は書かなくてはならないか,何は書いてもよいか,何は書かない方がよいか,何は書いてはならないか,を知っている.というよりは,それを知っている人のことを,現在では「専門家」と呼ぶのである.そのノウハウは,上に広く「セッティング」という大まかな言葉で編掛けをした多くの事柄と関わるものである.

一人前 - わさっき

このエピソードは,いろいろな教訓を持っています.査読付き論文として成果を公表していないと,人事の審査*3で,面倒をかけてしまうのだとか,もっと素直に,理系と文系で,研究業績の捉え方,カウントのしかたが異なるのだということもうかがうことができます.
用語の補足を.上の「レフェリー制度」を,縮めて「査読制度」といいます.1回の査読,すなわち一つの投稿論文を読んで採否を決めるプロセスを「レビュー(review)」といい,より大きな枠組みでは,「ピアレビュー(peer review,同業者評価)」と呼ばれます.査読が通って公表された論文は,そうでないのと区別するために,業績リストに "reviewed" または "refereed" と書かれることがあります.現在の主流は,査読付き論文とそうでないのを区別して,業績リストにすることですかね.論文を手にしているときに,それが査読付きか否かを手っ取り早く確認する方法があって,「投稿日(submitted on)」と「受理日(accepted on)」が書かれていれば,査読付き論文です.ただし,国際会議は,査読がなされていても,これらの日付がありません*4.

その行動様式 - わさっき

*1:情報知識学会誌は,1種類の「学会誌」で,査読論文も,査読なしのいわゆる予稿も扱っています.もちろん査読論文は最初のページの済に「論文」とつくほか,末尾には投稿日と採録日があるので,区別できます.5月発行の学会誌は「研究報告会」の原稿で占められています.編集方針として,この5月発行のものに査読付き論文を載せられる余地もありますが,これまでそういうのはなかったような.

古典籍書誌情報におけるキーワード抽出手法 - わさっき

学生時代,論文作成に関して「原稿を書いたら,客観的な目で,見直してごらん」と指導を受けたことがあります.主観的の反対は客観的,subjectiveの antonymはobjective,と知識として分かっていても,客観の重要性は,私にはこのアドバイスから始まったように思えます.

  • 卒業論文でも査読付き学術論文でも,客観性が重視されます.客観的に書くにはどうすればいいかを,簡潔に表現するのは難しいのですが,「敬語を学ぶように,論文の書き方を学ぶ」のがよさそうです.敬語は,定型の語句や表現というのがあります.論文でも,日常は使わない定型句が数多くあり,そこに注意すると,スムーズに書けます.英語で言う「If ..., then」や「In this paper」ですね.
  • じゃあ論文というのは100%客観的でないといけないのかというと,そうは思いません.成功に導く(導いたと主張する)ための,著者や協力者の発想(着想,アイデア),実現あるいは実証の労力,途中でうまくいかないときの苦悩などを経て,「論文」という文章が出来上がるのです.途中段階をもしすべてリストアップしたら,主観的な判断がいくらでも出てくるものです.
大学生活で学んでほしいこと - わさっき

私のところに限らず,研究室を維持運営するにあたり,「研究業績をあげること」が不可欠です.ここで業績とは,論文誌への掲載に限らず,学会の口頭発表も,修士論文卒業論文も含めることにします.

しかし「業績をあげる」というのを理念に掲げるのは,会社の経営理念で「収益をあげる」と書くのと同じくらい,ナンセンスです.

理念 - わさっき

ゼミで,私のチェックは細かいらしいのですが…

全体的な,あるいは構成上の不備に気づくのが苦手でして,なので細部から見て,そこから,単純ミスを超えた原因が見つかるんじゃないかという発想で,指摘しています.

ところで,誤字チェックに関連して,印刷物の校正という作業があります.学生の間,校正に携わるということはないかもしれないけれど,学会で査読つきの論文を掲載してもらうときは,校正刷り*1を見て,誤字があればチェックするという「著者校正」を一度はします.

誤字チェックで思い出す1冊 - わさっき

*1:ゼミ資料にはさらに,「紀要」「報告書」も記載しています.学生にとってほとんどなじみでないと考えまして,口頭説明は省きました.

*2:少し前までは「さどく」と打っても変換してくれなかったのですが,最近では問題ありませんね.使用しているのはATOK 2009です.

*3:私の学生時代には,毎年1回のシンポジウム発表で,発表者が当日持ち込んでいました.それを各参加者がバインダに入れていく,なんてことをしたこともあります.部数は100だったか150だったか.年々増え,とうとうある年からは,他の研究会と同じように事前提出となりました.