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学力とは

基礎学力を問う: 21世紀日本の教育への展望

基礎学力を問う: 21世紀日本の教育への展望

学校や教室で,どのように教えまた評価していけばいいのかを探るヒントになりそうな本です.ただし,具体的な指導内容というのは6章(市川伸一「学力概念と指導・評価」)に少しあるくらいです.小中学校の先生方に,ノウハウではなく「見えない教育力」を身につけるために読んでいただきたいものです.
「学力とは」について,次の2つの記述に,感銘を受け,そして学力や教育について当日記で放言する自分の至らなさを,身にしみて感じました.

英語の「achivement」は学校における学習到達度を示し,より狭義には,テストで測定された学習到達度を意味している.しかし,一般に日本で使用されている「学力」は「力」という含意により,英語の「achivement」以上の意味を含意している.そのため,人により多種多様な学力感が語られている.「テストでは測定できない学力がある」「見える学力と見えない学力がある」「学力は学習の結果だけではなく学習する能力も意味している」「学力とは生きる力である」「学力は知識や技能だけではなく関心や意欲や態度も含んでいる」などなど.これらの学力観は,どれも頻繁に語られる言いまわしであるが,そのいずれもが英語の「achivement」とは異なる概念である.英語の「achivement」は,それ自体に「力」の観念を含んでいないし,テストによる測定なしには想定されてはいないからである.
(略)
したがって,筆者自身は「学力」を英語の「achivement」の意味に限定して使用することを提唱してきた.英語の「achivement」の意味に限定するならば,「学力」は「テストで測定された学校の教育内容の学習の到達度」であり,それ以上でもそれ以下でもない.
(金子元久「プロローグ」,pp.12-13)

(略)教育学的な議論の中では,学力に,はるかに広い意味をもたせることがある.一九五〇年代に,日本の学力の草分けとなった広岡亮蔵は,学力のうち,個別的な知識・技能からなる下層構造と,個別経験をつらぬく法則を認識する中層構造を基礎学力としてとらえた.さらにその上の上位構造に,行為的態度としての問題解決学力を置いた(広岡,一九六八).これに対して,学力とは計測可能な知識/技能の到達度に限定すべきであり,態度的な要素を含めるべきではないとする勝田守一との間で,論争がなされている(勝田,一九七二).
(市川伸一「学力概念と指導・評価」, pp.164-165)