わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

私が事業仕分け人になったら

上の結果について,Web上で反対や憂慮の声をよく目にしました.その一つ一つを,批判することはできませんし,いま声をあげておかないと,google:彼らが最初共産主義者を攻撃したとき]や,『[isbn:4272600478:title』に書かれたような世の中に,科学技術・高等教育の分野が,なっていくかもしれない,と考えると,何か世のため人のため,プラス自分のプライドのために,メッセージを発したい気持ちもわかります.
と,背景を書いたあとで,本日のエントリで何を言いたいのかを書きますと,「もし私が事業仕分け人だったら,こうするのに」ではなく「私は事業仕分け人のような立場で発言したことがありました」です.
さて私は,別のことも,考えずにはいられません.それは,「相手の立場」です.凶悪とされる刑事事件の裁判を論じるときは,自分がその被告人加害者として裁かれることになったらどうなのか.今回のケースなら,自分がその事業仕分け人になったら,捌くことになる各事業に対して,限られた時間で適切な意見を述べ,冷徹に結論を示すことができるのか*1
事業内容も,周囲への影響度も,今回の件に比べて微々たるものですが,私は,ある会議の中で「それ,いらないんじゃないですか?」と軽はずみな発言をして,それが採用されたことを,深く心に刻んでいます.
その業務に携わっていた方と,面識はありません.私より年上で,その分野については,自分が一生を5回かけても無理なくらいの,業績と経験をお持ちだと認識しています.
私が声をあげなくても,他の人が同じことを言っていたかもしれない.あるいは,確かに私がきっかけとなる発言をしたけれど,その事業の見直し・削減という結論は,会議参加者の総意なのだから,個人で責任をとる必要はない.といえば,そうなのですが…
あの発言以来,その削減となった件に関連する勉強は,怠らないようにしています.
そして,私自身が行っている仕事についても,説明を求められたらできるよう,絶えず情報・知識を整理しています.それでも,廃止だとか削減だとか,担当者交代だとかになったら,それに従う覚悟も,あります*2

*1:2つの文が変な対比であることは自覚しています.前者を「裁判官・裁判員として裁く」としなかったのは,この話の関心は,事件(被害者)でも裁く人ではなく,被告人加害者であり,事業そのものでもなく事業の利害関係者でもなく,事業仕分け人だからです.と書いてもやっぱり変ですね.

*2:一番ありそうなのは,単独担当の授業,かなあ.