わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

土俵,画布,原稿用紙十枚

(略)書物の紹介及び批評を内容とする単文を学生に課して来ている.取り上げる書物は,数種類のうちから学生自身が選ぶようにし,枚数は書物一冊につき十枚と定めている.ところが,この仕事をやらせると,後になって,学生から必ず苦情が出る.苦情も必ず二種類ときまっている.
第一の苦情――「易しいだろうと思って,この本を選んだのですが,易しいどころか,こんな難かしい本は初めてです.ひどい目に遭いました.」(略)
第二の苦情――「あんな大きな書物の内容を十枚で書くというのは無理です.枚数が自由なら立派に書けたのですが,今度のは完全な失敗です.」こういう苦情が出るたびに,私は,狭い土俵があってこそ,相撲の技術というものは磨かれるのだ,と答えている.土俵が狭いから負けたので,土俵がもっと広ければ勝ったのだ,と言うのはナンセンスである.画家は画布に描かなければならない.百号などといっても,結局,画布は小さいもの,限りあるものである.画家はこの小さい世界に大自然を写し取らねばならない.いや,大自然を写し取るのではなくて,小さな画布の上に自分で大自然を創造するのである.文章もそれと同じことで,十枚の世界に何物かを創造するのだ.そう私は学生に答えて来たのだが,しかし,十枚の世界で勝負するというのは,確かに辛いことである.与えられた世界が狭ければ狭いほど,精神は高度の緊張を余儀なくされる.それだから,辛いのである.だが,精神の高度の緊張の中でなければ,文章という物は書けない.それだから,私は十枚の枠を固執するのである.
(論文の書き方 (岩波新書), pp.9-11)

第1刷が1959年,そして2008年第87刷というロングセラーの新書を,昨日から読み始めました.活字も少々古くさいですし,「及び」「きまっている」の表記は今ならそれぞれ,かな,漢字で書くのが自然でしょうね.「言う」と「いう」の使い分けには驚きです*1
しかしそれにしても,上の記述は,いろいろな意味でタイムリーでした.その前に少し補足を.「十枚」というのはA4でではなく,原稿用紙で十枚です.400字詰めです.この記述より前には,著者が,原稿用紙2枚半=1,000字で,文献を紹介する仕事をしていたことや,後ろ(p.14)には,改段落なし600字で,新聞に載った著者のコラムが貼り付けられて.
何がタイムリーなのかというと,

  • 今週月曜の授業,最後(まとめ)のスライドに「配列とポインタの違いを,一言で/1分程度で/30分ほどかけて,説明できるか?」と書いたのでした.うーん,一言で答えさせる問題,次回小テストでやってみようかな.となると同じレベルの,短答式問題を,もう一つくらいは用意したい….
  • とはゼミの1回の分量は,A4の1枚を厳守としています.標題・氏名・日付を書く欄をとると,実質1,000字強の字数です.まあ字数よりも行数(絶対2ページに行かないこと!),そして内容なのですが.
  • 事業仕分け(後のあれこれ)を想起します.ただ,後の祭り,負け犬の遠吠え,というのではなく,内閣による最終決定までに覆る余地があること,「予算を勝ち取るためのヒアリングの場」ではなく「事業支出を削減するための検討の場」*2であったこと,準備期間が短く(国レベルでの)前例がなかったので対策が取りにくかったことあたりも,留意しないといけませんね.
  • 昨日の晩,何のテレビ番組だったか忘れましたが,信長が土俵を決めた(それまでの相撲は土俵がなく,相手の体を地面につけるまで勝負していた)とのこと.

*1:今と変わらないという点で.

*2:http://slashdot.jp/comments.pl?sid=475072&cid=1674037