さまざまな学力観
- 作者: 阿部幸夫
- 出版社/メーカー: 幻冬舎ルネッサンス
- 発売日: 2009/08/30
- メディア: 新書
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著者は高校教諭・教頭の経験をお持ちです*1.昔,http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20070925/1190668055というのを書いたことがありますが,それに対してこの本は,穏やかな筆致で,教育関係者にも保護者にも読みやすい一冊です.
学力だとかPISAだとか全国学力テストだとかへの言及もありますが,私が関心を持ったのは,学力観の定義です.単一ではなく,いくつかの視点にもとづいて,学力観が分類されているのです.
教育の目的を「職業人として生きる資質を身につけること」とするとき,その資質を要素とする学力観を「産業政策的学力観」と言うことにします.
(p.63)
総合的な社会政策を実現するための資質を視点とする学力観を「教育政策的学力観」と言うことにします.
(p.64)
私たち保護者が意識している学力観とは,自分たちで正確な定義をしているわけではなく,産業政策的学力観や教育政策的学力観の変化によって振り回されているというのが現状だと思います.このような社会の価値観に依存して変わってしまう学力観を「通念的学力観」と言うことにします.
(同上)
いわゆる「社会の安定と文化の共有」を目的とする教育観は,その目的が自明のように思われていたので,単に「教育観」としていたのですが,これを「社会環境的教育観」と呼び,その教育観の要素として定義される学力観を,「社会環境的学力観」と言うことにします.
(p.65)
教育基本法にいう「生涯教育」もその意味するところは同じであると思います.つまり,成人としての考え方や知識量が目標ではないのです.「記憶力―想像力」というスパイラルが円滑に行われることが教育の目的であるべきなのです.そうすれば,時代や主義を超えた学力観になるのではないでしょうか.「記憶力」も「想像力」も脳の働きそのものですから,脳機能とその発達に着目した学力観を「脳科学的学力観」と呼ぶことにしようと思います.
(p.97)
こうして並べてみると,
- 学力観は社会情勢に依存すべきか,それとも独立・安定したものとすべきか
- 学力は測定可能か,可能ならどのように測定するか
といった問題意識が浮かび上がってきます.さらに,
- 一つの測定(学力検査・調査)で,複数の学力観をもとにしてよいか,そうではなく,ある学力観に基づく測定の結果は,他の学力観のもとで語ってはいけないのか
というのも,考えたりしました.これについては同書の中でも,次の記述がありました.
本章では,「学力調査によって本当の学力の実態を測定できるのか」という疑問を切り口にして,教育の本質である「学力とは何か」という少し難しいテーマに迫ってみました.その時代の社会的ニーズを学力観とする「社会環境的学力観」を根拠として学力を測定することは,教育行政の自己評価資料とはなっても,児童・生徒の学力を評価するには不十分ではないかという結論が導き出されました.もし,調査結果が,通念的学力観でしか学力評価を考えることができない人たちに利用されてしまえば,評価を受ける児童・生徒は,時代とともに揺れ動く価値観に振り回され,その尊厳が失われかねません.
(p.71)
教育評価の考え方と方法
- 作者: 梶田叡一
- 出版社/メーカー: 有斐閣
- 発売日: 2001/12
- メディア: 単行本
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教育活動を一つの球面としたとき,その内側から見る人,見たい人のための本です.
「教育評価」の考え方が網羅されており,様々な方法のメリットデメリットが語られています.私も,大学での指導に生かしていきたいと思いました.
諸概念の分類が中心となっていますが,ところどころに実際の科目例もあります.引用(おそらくそれに加えて和訳)として,アンケート文もあります(p.239など).そういえばかつて,学科の先生から,私の授業科目について学生にアンケートを回答してもらってほしいと依頼があり,アンケート文を見たとき,その質問項目に少々違和感もありました.どうやらそういう仕方にしないと,回答者が全部「はい」にしてしまうという可能性があるのですね.
内容,装丁,出版社を考慮すると,この本は,大学(もちろん教育学部)か大学院の教科書となることを念頭に,執筆されたのでしょう.ただし言葉遣いに難解なものはなく,「読む」だけに限れば中学生でも可能です.中学生が読んで,学力向上に生かせそうにはありませんが.
2000年になってからの著書かと思って買ったら,ちょっと違っていました.
1983年8月30日 初版第1刷発行
1992年9月30日 第2版第1刷発行
2002年1月10日 第2版補訂版第1刷発行
2009年6月30日 第2版補訂版第8刷発行
補訂は何かというと,指導要録改訂への対応(p.ii)とのこと.なので大枠は,1983年に書かれたと思って読むべきようです.
そもそもなぜこの本を読み始めたのかは,http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20091108/1257629990に書いたとおりです.ということで,全国学力テストだとか,悉皆調査だとか抽出調査だとかについて気をつけながら読んだものの,直接的な言及は,見つかりませんでした.
それでもないことはなかったので,抜き出してみます.
相対評価に客観性があるといっても,それはある限定された範囲内においてであることを先に見たわけであるが,それでも厳密に相対評価が行われているならば,共通テストを実施することによって(全員ではなくサンプルを抽出して行ってもよい),各学校あるいは学級の学力平均点と分散を知ることができさえすれば,それを基礎として相対評価による評点を換算し,異なった学校あるいは学級の子供同士を近似的に比較してみることも可能であった.しかし,原理的に異なった絶対評価を相対評価に「加味」することになれば,共通テストなどによって評点を相互に換算することも,絶対評価の場合のように評点自体に意味を持たせるということも不可能になってしまうのである.
(p.118)
相対評価がよいとする主張として,「絶対評価は基準設定に際し主観性が強くなる」「相対評価は客観性が高い」「絶対評価を加味した相対評価が適切である」をそれぞれ検討していて,上記は,その3番目に対する反論の後半に現れます.共通テストの実施を,「仮定法」として書いている点に注目です.なお,2007年から行われている全国学力テスト(全国学力・学習状況調査)は,自治体間や学校間の相対評価をするためのものではないし,各児童・生徒の成績に反映されないという点には,注意する必要があるでしょう.
学力水準の判定を土台とした等級制が中核になっていた明治20年代初め頃までの小学校では,一般的に次のような試験が行われていたという.
(略)
(5) 「比較試験」あるいは「集合試験」,「学事共(競)進会」.中学区・群区規模で,まれには府県規模で,学事奨励,教員督励の手段として行われたもので,各学校から優等生を数人ずつ選んで一堂に集め,その学力を競い合わせた試験であり,その成績は学校別,個人別に公表され表彰を受けた.
(p.278)
この例は「無作為でない抽出調査」と言えそうですね.しかし男塾を連想するなあ.
末尾の年表を見ると,p.329に『57 文部省,全国学力テスト実施/1966年中止』,そしてp.331には『02 全国学力調査の大規模な実施始まる(毎年実施されることに)』とあります.脚光を浴びたのは2007年からですから,02〜06年は,抽出調査だったのでしょうか.
改めて「教育活動を一つの球面としたとき」,この本は,球面の中から光を放射し,すべてとはいかないまでも,球面の主要な部分に,その光を浮かび上がらせようとしていると感じました.そして私を含め,教育の享受者は,外から見てそれを理解するのです.小学生から大学生までは球面に乗り,学校教育を離れれば,球体から遠のきます.
さらにいうと,著者は,球体の中に照明をセットした人であり,全国学力テストの分析・活用専門家会議座長として,球体の内面から,球面にアプローチしている人のようにも思えます.
私自身はというと,学生から大学教員という方向で,球体に入り込んだ人です.どっぷりと「中の人」になるのではなく,学生のように他分野(その分野では学部レベルかもしれない)の本を読んだり,父親として娘の教育を見たりときにはそこに巻き込まれたりして,人々が生きていくことを支える,教育活動の球面を,もっと観察したいと思うようになりました.
*1:奥付のプロフィールでは現職教諭であるように読めますが,http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4779003008.htmlでは,退職とあります.