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こんなダメな自分でごめんね

闇の中に光を見いだす―貧困・自殺の現場から (岩波ブックレット NO. 780)

闇の中に光を見いだす―貧困・自殺の現場から (岩波ブックレット NO. 780)

本文は63ページまでという,コンパクトな本です.
自殺の問題に関わってきた清水康之氏と,貧困の問題に関わってきた湯浅誠氏との対談です.ともに内閣府参与を務めていて,実はこの本をAmazonで注文したのは,湯浅誠:内閣府参与辞職にともなう経緯説明と意見表明をブックマークして,お名前を知ったからでした.
自殺/自死に対する個人の考え方,周囲の考え方,社会がどうあるべきかについて,強く関心を持って読みました.まず,そういう方向に至った人の心理状態から:

自死遺族の方に話を聞くと,生きることを望んでいたにもかかわらず,死なざるを得なかった人たちがたくさんいます.しかも遺していく言葉が,「ダメな父親でごめん」「仕事ができない部下で,申し訳ありませんでした」.つまり,謝りながら亡くなっていく.それも,こんな過ちをおかしてごめんね,ではなく,こんなダメな自分でごめんね,と,自分の存在を否定しながら,おそらく何万人もの人たちが亡くなっているのです.その人たちは実際に何か悪いことをしたわけではなく,むしろまじめで責任感が強い人ほど追い込まれ,死を強要されてしまっています.
(pp.56-57)

直後に,事に至ってからの,周囲の人の心理が続くのですが,省略します.
対談は,社会に目を向けます:

ただ自殺は,極めて個人的な問題であると同時に,社会構造的な問題でもある.この一二年間,自殺者数は毎年コンスタントに,ほぼ三万二〇〇〇人から三万四〇〇〇人という一定のレンジで推移しています.もし個人的な事情で自殺が起きているのであれば,ある年は二〇万人くらいで,翌年は二〇〇〇人というような,増減があってしかるべきです.これはつまり,社会の中に三万数千個の落とし穴があって,穴に落ちた人,落とされた人から亡くなっていると解釈すべきだと.
だから,対症療法的に,穴に落ちた人を穴から引き上げる支援策だけでなく,社会のどこに穴があるのかを検証して,穴に落ちないようにセーフティネットを張っていくこと.埋められるのであれば穴を埋めてしまえばいいし,穴ができた原因を明らかにして,二度と穴ができないようにすることも重要です.そうやって,穴に落ちる人が出ないように,社会的な対策を取っていく.(略)
(p.57)

そして個人と社会の関係について:

今の日本社会は,まるで「野生の王国」です.自分の命は自分で守れと,一人ひとりに責任が負わされてしまっている.自分の人生ですから,一人ひとりが生きていく意志を持つことも必要ですが,穴に落ちないための防御策から,穴に落ちた時の支援策を探すところまで,全部,自力でしなくてはならないというのでは,社会を形成する意味がありません.欧米では,死から学ぶことが制度化されていて,人が生きるための環境を社会がコストを負担して整えていくという大前提があります.個人主義は,生きる上で最低限の条件を社会が整えているから成立するわけです.(略)
(p.58)

これまで私自身,いくつかの葬送に出席し,ときに自殺や事故などの理由を耳にしながら,人間はなんとあっけなくこの世を去ることができてしまうのかと,思うようになりました.
しかし…あっけなく,だけではありませんね.100歳を超えても生きてらっしゃる人が日本には万の単位でいる*1わけですが,そこにも,多数の様々な理由による死を見届けた上で,生を全うしようという自分の意志がまずあり,そこに周囲のサポートと社会の支援が加わってこそ,うまくいっているのだと想像します.
私は自殺や貧困を減らすような/なくすような社会活動に積極的に活動できるほどの,とりわけ精神的な余裕を持っていませんが,この種の問題があればこの本に立ち返って考えることにしたいと,思います.
「自殺」と,自分のアンテナを結びつけて出てくるのは,id:hrkt0115311さんです.先月も,http://d.hatena.ne.jp/hrkt0115311/20100211/1265879212というエントリを書かれていました.この本のご感想などを,日記に書いていただければ幸いです.
さて,社会ネタを扱うと,どこかに自分の専門のことを入れたいというのは,実はこの本を読んでも同じでして,今回は,以下の記述を取り上げたいと思います.

自殺の問題に対して「死にたいやつは放っておけばいい」と言われるように,貧困の問題に対しても常に「本人の努力が足りないからだ」「甘やかす必要はない」と自己責任論で切り捨てて,自分は関係ないと課題から“逃走”したがる人たちが常にいます.私は,それでは何もよくならないと言い続けていますが,同時にその人たちとの綱引きは一生涯続くだろうと覚悟もしています.それでもイヤにならないのは,底力が発揮される瞬間をたくさん見てきたからだろうと思います.この問題にコミットすることで得てきた経験に比べれば,コミットしないで済む理由を探し続けている自己責任論的な言辞が,いかにイメージだけで,表面的かつ抽象的に問題を捉えているかがわかってしまう.強いて言えば,それが私にとっての「闇の中の光」ということでしょうか.
(p.63)

私の今の課題の一つは,プログラミングができない学生をどうすればいいか,です.プログラミングの科目をいくつか担当していて,毎年多かれ少なかれ変更しています.例題プログラムの題材については,2年前期の補習科目で(他の先生によって)作られた新ネタを,1年後期の自分の授業でアレンジして使用し,試験でさらにアレンジしたものを提示して読み解かせています.
そんな,私と周囲の状況を,上の引用と対応づけてみると…あれ?

  • 死を選ぶ人,貧困にあえぐ人 … プログラミングができない学生

という対応なのはいいとして

  • 社会で,自殺や貧困に関する問題解決に携わる人 … プログラミングができるよう対策を考え,行動する教員(∋私)
  • 自己責任論を唱える人 … ???

うーん,立論を間違えてしまったようです.私のところの公開授業 - わさっきを思い出したのですが,うまくつなげられません.しょうがないけどこのまま残します.