わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

全国学力テスト,そして教育の未来像を探る

小学6年と中学3年の児童生徒を対象に、毎年実施している全国学力テストの今後の在り方を考える専門家会議の初会合が10日、文部科学省であり、現行の国語、算数・数学の2教科から教科数を増やすことや対象学年拡大などを論議した。
会議は学識経験者や小中学校長、PTA関係者らで構成。冒頭、4月の実施時期を変える必要があるかなどをテーマとすることも確認した。
委員からは「教科増を考える際に、これまでの問題作成プロセスの開示が必要」「知識活用型の問題をより重視すべきだ」などの意見のほか、「理科、社会、英語ではどのように活用問題を作るのか」との声も上がった。今後、問題作成上の実務的な課題も整理し、2011年度以降の抜本的な見直しにつなげる。
学力テストは全国的な状況や課題を把握し、児童生徒一人一人の指導に役立てるのを目的に07年度から実施。09年度までの3回は全員が対象のテストだったが、政権交代に伴い、本年度から約3割の学校を選ぶ抽出方式に転換し、抽出から外れても希望すれば利用できる形にした。

http://www.47news.jp/CN/201006/CN2010061001000377.html

共同通信社の配信によるものらしく,琉球新報ほか,多くの新聞社サイトで同じ文面の記事が見つかります.

11年度以降の全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の在り方を検討する文部科学省の専門家会議(座長、梶田叡一・環太平洋大学長)の初会合が10日、開かれた。会議に示された検討項目は▽調査の目的▽対象教科や学年▽実施方式は今年行った抽出・希望利用方式か、全員参加方式か▽毎年実施するか、隔年または数年に1度に改めるか−−など。年内に基本方針を決める予定。
委員からは、抽出方式では学校ごとの継続的な学力改善が十分行えないとして、「何年かに1回」「3、4年に1回」の全員参加方式を望む声が出た。また、現行の実施科目(国語、算数・数学)に、理科、社会、英語を加えるよう求める声も出た。同省は、全国の都道府県・市町村教委を対象にアンケートを行っており、集計がまとまり次第、会議に提出する。

http://mainichi.jp/life/edu/news/20100611k0000m040043000c.html

毎日の記事は,少し違う視点で報じています.
専門家会議の出席者がわかり,議事録が公表されれば,また取り上げたいと思います.

そういうことで現在は,これからの全国学力テスト,そして教育はどうあるべきか,いわば未来像を探っている段階ですね.「探る」というよりは,裁判と同じように各参加者が自分の信念を持っており,それを専門家会議でぶつけているところなのかもしれません..裁判官はいませんが,文部科学省の事務方が,意見の取捨選択を通じて取りまとめを行うのでしょう.おそらく省の思惑のもとで.
専門家会議で発言するのは,おそらく最も効果的な意見の提示方法ですが,誰もができるわけではありません.別の方法として,文字にして,報告書あるいは書籍として配布・販売することが挙げられます*1.最近,以下の本を読みました.

学力―いま、そしてこれから

学力―いま、そしてこれから

2006年10月発行(ISBNも10桁!)ですので,悉皆方式の全国学力テストの前年に出された本です.章・コラムごとに著者が異なっており,いわば報告集となっています.しかし,一つひとつの文章の質が高く,今なお通じる内容ばかりです.
はじめに,「第5章 英語学力の経年変化」(pp.100-115)を読みました.センター試験開始から15年分の英語第2問(文法・語彙を問う問題)を対象として等化用問題冊子を作成し,国公私大の1年生に解かせています.尺度の等化*2は項目反応理論に基づいており,困難度,識別力,疑似チャンスレベルの3パラメータでフィッティングを試みています.その上で,等化係数を3つの方法で別々に算出し,折れ線グラフにすると,いずれの方法でも1997年のところで大きな右下がりになっています.その原因を『学習指導要領の改訂に起因するもの』(p.110)としています.テスト分析の一連の流れが10数ページにまとめられており,興奮気味に読んだものでした.
測定以外の点でも,打ち込んで残しておきたい一節があちこちにあります.少しだけ,取り上げます.

学力を論じるには何よりもまず初めに,学力に関する一つの長期にわたって変化しない定義と物差しが必要です.その上で学力現象を観測し,政策等に反映させることが大事ですが,残念ながら我が国にはそのような制度・仕組みが存在しません.有識者と言われる人たちの床屋談義に乗っかって次から次へと新しい学力が登場するのが我が国の実態です.学力の把握などいつまで経ってもできるわけはありません.
我が国がこのような現状であるのは「学力」を客観的・科学的に語る文化的背景が整っていないからであると筆者は考えます.(略)
(p.113)

よい学力テスト*3を作題される先生方は,本当に子どもたちの学力の実態を生活面も含めて深く理解し,教科の指導力にも長けていらっしゃいます.また,その作題グループに入ることで,先輩教師に鍛えられる若い先生も数多くいらっしゃいます.そしてその先生方がそれぞれの学校にもどって,そこで指導的な役割を果たしていくという,潜在的な研修ループが自治体ごとに形成されているのです.
(略)
むしろ,「国が実施する悉皆調査」ということで,暗黙裏に現場への強い影響力をもつことが予想できます.いわばこの調査がある種の基準となり,「ルールが学力内容を規定する」という現象が起こってくることが考えられます.一方,自治体から見れば「学力テスト事業」をある意味で「国」へアウトソーシングするわけですから,当然,自治体レベルの学力テストは不要という議論も出てくることでしょう.そのような事態になれば,上で述べたような潜在的な研修ループもとぎれ,教科の指導ノウハウの蓄積が途絶えるなど,教員の指導力要請にもけっしてよい影響を与えることにはなりません.
(pp.156-157)

上の2件を,これからの全国学力テストという文脈の上で,考え直してみます.まず前者の「「学力」を客観的・科学的に語る文化的背景」については,専門家会議で教育測定学を専門とする方が含まれているか,そして入っている場合に,その方の発言がどれだけ内外(議事録,新聞などでの報道)に反映されるか次第です.後者を読んで,国か自治体かというよりは,QCD (Quality, Cost, Delivery)の考え方を大規模テストに取り入れられないかと思案しています.その際,問題を解かせるまでだけでなく,結果を関係者に返すことについても,Delivery(=納期)の検討が必要ではないかと考えるのです.

*1:これとて,誰でもできるわけではないのですが.

*2:『異なる年度のセンター試験受験者の学力を比較するためにはそれぞれの年度の試験の「目盛り合わせ」を行う必要があります』,p.106.

*3:引用者注:自治体単位の学力テストのこと.