(略)ただ,ちゃんとした設計ができるような段階になるのは,ある程度ノウハウが蓄積された最終段階であって,最初のうちは,とりあえずの試作の装置でやってみる.そういう試行錯誤の末に,人に頼めるような設計図が出来上がるのだ.しかし,そういったステップを踏んでも,工作後に予期しない不具合が顕在化する.特に,学生が設計したものは,たいていうまく機能しない.
こんなときに,工作の得意な学生と,そうではない学生の違いが顕著になる.何が違うのかというと,図面を描いているときに,それで機能が実現できるかどうか,という見通しに差が出る.設計段階の打ち合わせでも,工作経験のある人間の方が明らかに悲観的で,「いや,そこはどうかな,うまくいくかなぁ」と首を捻るのだ.そして,もっと確実な仕組みはないか,と考える.また,工作をする人間ならば,それを実際にどう作るのか,という想像ができるけれど,作った経験がない人は,完成したときの形しか思い描いていない.その形にするまでの途中経過を思考しない.したがって,「作りやすい形」という設計ができない.「作りやすさ」という概念すらないのだ.この差も非常に大きい.
(創るセンス 工作の思考 (集英社新書), pp.77-78)
何の設計をしているのかというと,研究のための実験装置とのことです.とはいえ上の引用は,機械設計に限定されず,例えばソフトウェア開発における設計にも,適用できるアドバイスのように思えます.
『完成したときの形しか思い描いていない』で連想するものとして,「作りやすさ」の欠如のほか,「使いやすさ」の欠如があります.完成形のみにとらわれ,仮にその設計の通りに完成できたとして,それがどのように使用されるのか,矛盾点や不都合なことが発生するのではないか,といったことを,設計段階できちんと検討できていない,というものです.この点に関して言及がなかったわけではなく,読み進めていくと,『まともなものを作るには,完成したものがどう扱われるのか,と想像する必要がある.それも,技術者に求められる能力である』(p.90)と書かれていました.
さて,この本を読み終え,いくつかページを開くと,「なるほど,そうだなあ」と思うのですが,全体としては,どうもしっくりと来ません.その理由として,一つ,思い浮かぶのは,工作という行為の内向性です.いくつかのエピソードで,人との関わりを挙げていますが,結果が出る(納得のいくものが出来上がる)までの工作というのは,基本的に孤独なものです.これが,広く薄く,誰かと常につながっていようとする,現代社会の人々に合わないのではないか,なんていうのは言い過ぎでしょうか.