わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

教育の責任

この詳報・発言録に,全体として賛成であるか反対であるかを,理由つきで言えるような生徒と家庭があればなあと思います.私自身は全体として反対です.政党色をできるだけ排して簡単にその理由を言うと,教育の単位*1がばらばらなのに,「教育」という一言で分った気になっていて,「教育(改革)が大事なのは,みなさん,ご同意いただけますよね」という暗黙の仮定で壇上から話を進めようとするのが見えるからです.

表現としては,「責任」という言葉の使われ方に関心を持ちました.2つ引用します.

一番大事なのは教育の無責任体制を改善することだと思っています。今の教育委員会制度は連合国軍総司令部(GHQ)が日本解体を意図して作ったものですが、何がおかしいかと言うと、責任の所在を分散化させたことです。責任を分散化させれば教育は崩壊します。親の責任、担任の責任、教頭の責任、校長の責任、教育委員会の責任、文部科学省の責任、中教審の責任を互いに押し付け合うシステムにしたら、教育は崩壊します。
(略)
教育崩壊の一番の責任は自民党にあると思います。日教組の問題や無責任体制の問題を把握していたのもかかわらず、票にならないから、正常化するための立法を怠ってきました。だからこそ、私は、安倍晋三元首相の教育再生の覚悟に尊敬の念を抱きながら、闘っているのです。誰も責任を取らない制度を作って、子供たちにツケを回してきたのが戦後65年間の実態でした。

『教育崩壊の一番の責任は自民党にあると思います』から,「だから自民党がこれまで実施してきた教育政策は間違いだった」と言いたいのではなさそうです.

 その上で「責任」の問題に戻りますが、例えば1年いた実習生が生徒と恋愛関係になり、問題を起こしたら、誰が責任を取るのですか。在籍する大学の学長ですか、指導教官ですか、校長ですか、教育委員会ですか。単位を出さないという責任は実習生に取らせますが、傷ついた生徒への責任は誰も取らないシステムになっているのです。
 だから高橋先生と協力し、私は横浜教師塾を作りました。横浜で教師を志す人間を100人募集し、毎週授業をして、途中から教育現場に教員補助として出す。その場合、責任の所在は明確です。問題が起きれば、塾長の私に責任があります。

この方針で,『例えば1年いた実習生が生徒と恋愛関係になり、問題を起こしたら』『傷ついた生徒へ』塾長がどう責任を取ろうとするのか,さっぱり分かりません.
「教育(改革)が大事なのは,みなさん,ご同意いただけますよね」と言われたら,「質の高い教育の維持が大事であって,改革・てこ入れは,きちんとした観察の後で考えるべきです.全国学力テストの都道府県別平均得点率の広がりが,約40年前に比べて小さくなったことは,質の高い教育が行われている傍証になると思います」と答えてみたいものです.まあリアルでそんなことを言う機会はありませんが.

*1:「教育の時間的空間的な対象」と言って,煙に巻くのがいいのかな….