- 作者: 川喜田二郎
- 出版社/メーカー: 祥伝社
- 発売日: 2010/09/01
- メディア: 新書
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一つ,気になったことを.
(略)企業でさかんにKJ法が取り入れられたとき,企業の教育担当の何人かの人が心得違いを起こして,社員のやる気を起こさせるために心情陶酔的に煽ればいいという意識でKJ法を利用したのである.ある企業の研修担当者がまったく呆れたことを私に言った.「じつは先生,KJ法なんか使っても,何も価値あるアウトプットは出ないですよ.だけど,我々が重要視するのは,あれを使うと社員がやる気を出して盛り上がるからですよ」と.
これは,KJ法についてのまったく見当違いの理解の仕方である.KJ法とは,価値あるものを生み出すことをゴールにしているのであって,その創造的行為が達成されたとき生じる心情的陶酔,つまり「やる気」は結果の状態であって,目標ではないのである.
(pp.140-141)
ここは,KJ法に限定せず,『価値あるものを生み出すことをゴール』とする何らかの手法(メソッド)やソフトウェアを開発し,普及する際に,常に持っておかなければならない問題意識だと理解しました.
手法(メソッド)というのは,私の場合,教育におけるものをまず連想します.学生に何を知識として身につけ技能として習得しもらうか,です.「何を」だけでなく「どのようにして」「どれだけ効率良く*3」という観点も,不可欠です.そのうち取り上げますが,『感動教育』の「スタント・メソッド」はなかなか強力だと思います.
ソフトウェアは,自分でも小さなものをメンテナンスしていますが,こちらは「使う観点」です.学生に使わせるだとか,研究室内で,また共同研究において,目的に応じてどんなソフトウェアを検討し採用するか,というのも含めることができるでしょう.研究や研究室活動それぞれにおいて,(解決すべき価値のある)目標を設定した上で,それを達成するために最適なソフトウェアを選定し,そのソフトウェアが対応していない部分については,自前で作ることになります.このとき,ソフトウェアの想定する用途と異なった使い方をしていると,ゼミや学会発表でツッコミがあるかもしれませんが,妥当性をアピールできれば,問題にはなりません.
以上を総括すると,メソッドを「作り広める人」と「知り使う人」の間にはギャップがあるんですよ,といったところでしょうか.できれば,日記上や研究室内で,小さいけれども有用なメソッドを紹介し,自分自身も適用して改善を試みるとともに,川喜田氏のKJ法に相当するような,生涯にわたって「自分のもの」となるメソッドを確立し,良い意見を取り入れながら,世の中に広めていきたいものです.
*2:私自身は「本質」という言葉を目に耳にしたらすぐに警戒する癖がついています.自分なりの「本質観」については,http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20090930/1254257944に書いています.
*3:多くの人が有効と認めてくれるけれども,習得までに理解がかかるようなメソッドは,改善の対象となります.メソッドを変更した結果,「何ができるようになるか」が変貌するという可能性にも,注意しないといけません.