教諭について,同情はするものの,セクハラサイコロについては肯定できません.
この事件で連想するものがあります.七生養護学校の性教育,「こころとからだの学習」です.
いくつか共通点があります.指導のための道具・器具があり,教諭と生徒(七生養護学校においては保護者)との間で肯定的な空気を形成していること.その「ブツ」(批判者にとっては格好の物的証拠なのでしょう)が,部外者による批判・恫喝によって引き渡されたこと.産経新聞の関わりも,書いておいていいでしょう.
相違点もあります.七生養護学校の性教育においては,その批判や没収よりも前に,外部で肯定的にとらえられていることがうかがえます*1.一方,セクハラサイコロについて,この報道が出るまでに,教室の外で,その活動の報告や議論・評価がなされたでしょうか.
教育事例として発表するなら,日教組もしくは全教の教研集会でしょうか.実態がよく分かっていませんし,当該教諭のその種の関わりについても知ることができませんが.そんな全国レベルでなくても,学級新聞を頻繁に発行すれば,そのうち,このセクハラサイコロも取り上げることになり,おうちの方からの好評・不評の意見をもとに改善していけたかもしれません.
そういうのがなされなかったという前提で以下書きますが,対外的な批判にさらされて対抗できない教育方法は,たとえ教諭が人格者であり児童生徒に行き届いた指導をしているとしても,一点突破されて,教諭のみならずクラスそして学校に大きなダメージを与えることになる世の中だと,言わざるを得ません.したがって「先生には同情するけど,やっていることは肯定できない」のです.
私自身,今思えば教育効果が乏しく,もしかしたら成長の目を摘むような指導をしていたのかなあと感じるものは,一つや二つではありません.だからといって,本やWeb上の成功事例ばかりを使おうとしても,たいてい失敗しますし*2,教える側としての能力が鍛えられません.1回,数週間,数年レベルの課題を立て,効果的でありかつ同僚に見せることが可能なような活動をし(ときには協力を仰ぎ),ある程度まとまれば当雑記に書き残して,あとで見直せるようにしています.