先週日曜日から,『遠山啓 エッセンス』を読み始めています.全7巻のうち最初の3巻を購入しました.

- 作者: 遠山啓,銀林浩,小沢健一,榊忠男
- 出版社/メーカー: 日本評論社
- 発売日: 2009/04
- メディア: 単行本
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- 作者: 遠山啓,銀林浩,小沢健一,榊忠男
- 出版社/メーカー: 日本評論社
- 発売日: 2009/05/01
- メディア: 単行本
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- 作者: 遠山啓,銀林浩,小沢健一,榊忠男
- 出版社/メーカー: 日本評論社
- 発売日: 2009/06
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それはそれとして,手元の本棚の,数学の読み物を何気なくめくっていると,名前が目に飛び込んできました(強調は引用者).
さて,そのカントルの定理であるが,その最初の証明は彼の実数論と関係していた.有名なのは,2度目の純集合論的な証明で,「実数論」とのかかわりという点では,最初の証明のほうが〈無限〉の発想ということで興味深いが,ここでの文脈から普通の対角論法の証明をあげておこう.対角論法というのをだれが最初に考えだしたのかよく知らないが,関数族の研究でカントルの時代によく使われていた方法である(略)
この証明は,背理法のインチキクササの典型で,なにやらだまされたような気がする.遠山啓さんが授業したところ,そのxを最初にして番号をつけ直したらいいじゃないか,という反論があったそうである.その新しい番号でもダメなのがまた作れてキリがなくなるのであるが,遠山さんは,「背理法で,最初の仮定を動かすのは将棋でマッタをするようなもんで,マッタをしないのが背理法の仮定だよ」と言ったそうである.「しかしキミ,本当のところはあの背理法はボクだって気持ち悪いんだがね」というのが,この話をしたときの遠山さんの陰の声,もっともそのときはだいぶんアルコールがはいっていたけれど.
(無限集合 (数学ワンポイント双書 4), pp.23-25)
上述の対角論法は,全称記号の使いどころ シーン2で書きましたいたことと重なります*2.ポイントになるのは2番目の強調箇所で語られており,あとは,背理法の仮定,すなわち番号付け(自然数からの全単射)を,自由変数のようにみなすか,全称化された束縛変数のようにみなすかの違いだと思います.さらに連想するのは,「任意に固定する」という言い回しですね*3.
ところで,『この証明は』以降は,著者・森毅氏が遠山啓の名前を出したくて書いた逸話のように思えます.人物関係はこんな感じ.
そんなこんなの話題を今年,知り,考え直すことができたことを,興味深く思っています.例の論争はあっという間に下火になりましたが,もう少し検討して,ブログから切り離して何らかの形で文書化をしようと考えています.