わさっきhb

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時速1kmで3km歩く道のりの時速4km分の道のり

(略)担当者が、時速4kmで3時間歩くときは1あたり量の数値は時速4kmの4になる、と言ったことに対し、3km/(km/時)×4km/時 と考えれば、3も1あたり量の数値となる、としたのでした。
3km/(km/時)×4km/時
は、「時速1kmで3km歩く道のりの時速4km分の道のり」と解釈できるわけで、秀逸な発想、秀逸な単位の表記法だと思います。
この単位の表記法は、連続量だけでなく、前述の分離量の場合にも適用できます。
  4個/人×6人=6個/(個/人)×4個/人
  4人/列×6列=6人/(人/列)×4人/列
  2個/匹×3匹=3個/(個/匹)×2個/匹
連続量では、たとえば、
  3kg/個×5個=5km/(kg/個)×3kg/個
こうすれば、不可能に思えた連続量の場合も含めて、すべてのかけ算の式で、どちらの数値を「1あたり量」とすることが可能となります。(略)

量のかけ算でも交換法則は成り立つのか(3の3) | メタメタの日

引用にあたり,「km」「kg」を1文字で表している箇所はすべてASCII文字に変更しています.引用した記事のほか,直近の関連記事も読みました.当雑記との関係は,『遠山啓エッセンス』の頻出語句を使えば「氷炭相容れない」*1のですが,上記引用が興味深い記述に思えたので,勝手に深入りしてみます.
誤記と思われますが「時速1kmで3km歩く道のりの時速4km分の道のり」は「時速1kmで3km歩く時間の時速4km分の道のり」のことでしょう.しかしそうしたとしても,この意味を理解するのは容易ではありません.
自分なりに,表現を考えてみました.結論としては,「3km/(km/時)×4km/時」を「時速1kmで3km歩いてかかる時間を1あたり量として,その時間に時速4kmで歩いたらどれだけ歩けるか」と解釈すればよさそうです.
量じゃなくて数の場合にもうまくいくのか,一方が量で一方が数でも大丈夫か,書かれている式で試してみます.

  • 「6個/(個/人)×4個/人」は「1人1個ずつで6個持っている人々がいる状況を1あたり量として,1人につき4個持っているなら,全体で何個か」
  • 「6人/(人/列)×4人/列」は「1列に1人並ぶのを基本としてそれが6人いる状態を1あたり量として,1列につき4人並んでいたら,全体で何人か」
  • 「3個/(個/匹)×2個/匹」は「1匹あたり1個“何か”*2を持つとしてそれが3個ある状態を1あたり量として,1匹につき2個“何か”があるなら,全体で何個“何か”があるか」
  • 「5kg/(kg/個)×3kg/個」は「1個につき1kgのものが5kg分ある状況を1あたり量として,1個につき3kgの重さがあるとき,全体で何kgか」

箇条書きの中で「状況」あるいは「状態」と書きましたが,順に「人数」「列数」「匹数」「個数」と書いても良さそうに思えます.ただ,「6人」と「6個/(個/人)」を立式上,異なるものとして扱わないといけませんので,避けたのでした.
それにしても,ずいぶんと分かりにくい解釈です.単位を消せば,この流れを知らない限り,復元は困難ですし,十分に理解された方が書いても「時速1kmで3km歩く道のりの時速4km分の道のり」のように,「道のり」が2回出現してよく分からない記述に見えるわけです.当雑記の吟味を経た正答と同様に,児童生徒に直接教えないとしても,現場の先生や,教育学部で指導する教員・学ぶ学生さんが,スムーズに理解できるでしょうか,実践できるでしょうか.この件,ブログだけで閉じるのは,あまりにももったいない.
上から目線で,対策を書きます.なるほどそれは分かりやすいという例*3を,用意することです.除算の話ですが,ああその考えは,言われてみればその通りだと,すんなり理解できた例を引用します.

しかし連続量になってくると,この2つは明らかに別物であるとみなければならなくなる.13Lのショウユを3人に分けるのと,3Lずつに分けるのでは明らかに意味が違う.
13L÷3は4\frac{1}{3}Lであって余りのない答えがでてくるが,13L÷3Lは4と余り1Lという答になる.
(遠山啓エッセンス〈2〉水道方式, p.178)

(引用者注:「L」は原文では斜体字小文字のエル.「この2つ」とは,等分除と包含序のこと.この後の部分が,冒頭の引用の試みに重なって見えますが,確証が持てないので,そう感じたとだけ書くことにします.)
別の対策は,「ここで書いたから終わり.分からないという人は,前に書いたここを見てね」という態度ではなく(上記ブログ主さんがそういう態度だとうかがえる記述はありませんので,ここは一般論として),一度書いたことを見直し,別の形式で書いてみて,新しい,洗練された考え方を作り出していくことでしょう.例の論争において,私が試みた例を挙げます.

しかし今,ここで文字にしてみると,昔からも,児童が,別のところでcを知ってかつ,学校でこのいわば引っかけ問題を見たときに,「5×3=15でも理由は説明できるけれど,マルバツをつける先生には伝わらないのでこっち」と考えて,bに基づく「3×5=15」を解答したというのが,あったのかもしれません.aはcより上位にあるので,aの考え方をする子はcの考え方をする子よりももっと少ない(レアケースだ),という推測も一応できますが,むしろ,aのレベルまで配慮のできる子は,cを学ぶか思いつくかしてそこで思考停止する子よりも多いのではないかと考えます.

正解・不正解の線引き - わさっき

「配慮のできる」「思考停止」は,最初からそういう意識があったわけではなく,いろいろ読み書きしながら気づき,取り入れました.洗練されているかは主観なので避けるとして,新しさは見出せています.というのもこれにより,子を持つ親御さん向けのメッセージとすることができたのでした*4.ただし,子ども*5にはそのままだと通じない可能性があるので,適宜言い換えるだとか,思考停止がどのようにいけないのかを,噛み砕いて説明することになるでしょう.

*1:当方は児童とその(小学校の外の)周辺の人を支援対象とし(その点では,算数であることすら重要ではない),×になった答案があるという前提で検討をしていますが,当該ブログは,小学校の算数教育への意識が強く,×になった答案の存在を仮定せず,どのような学ばせ方をすべきかを考えていることあたりが読み取れました.

*2:1匹あたり1個だけ耳を持つ生物というのは想像しにくいので,“何か”に置き換えました.

*3:「キラーサンプル」という言葉でいいのかなと調べてみると,これはどうも音声ファイル関連の用語になっているようですね….

*4:本意ではないが愚痴を書く…賛成にせよ反対にせよ,「自分は子どもにこう教える」「自分は日常,×(かける)をこう使っている」というのを明記しているブロガーさんって,とんと見かけないんだよな.

*5:「思いついた,一つのことしか考えられない子」「自分なりに強い信念・根拠を持ち,一つにこだわる子」「さまざまに考え,一つを選んでいる子」は,少々対話をすれば分かります.