わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

scientia potentia est

研究者は

この研究を進めながら,文字読取りや濃淡画像の処理の研究が世界的にどのような現状にあるかを徹底的に調査をしようと思い立った.まず内外の入手できる雑誌から関係する論文を全て取り出してコピーしたが,一九五〇年代から一〇年間くらいで約七〇〇編の論文が集まった.これをちょうどその頃坂井研究室に入ってきた金出武雄君と二人で手分けして読んだ.まずこれらの論文の中から重要と思われる論文を一〇〇編ほど選び出し,これらについては詳しく読んだ.そして二人でその内容を検討するという形で,論文の内容,特徴,新規性,創造的な部分などを明確にするとともに,不完全なところ,残された課題等についてもいろいろと議論した.こうして一〇〇編ほどの論文を精読すると,残った論文の読解は非常に早くなる.この論文はどの系列に属する研究であるか,どの手法をとって何を明らかにしたか,過去の成果に何を新たに付け加えたかなどは,基本的な論文の成果を知っていればすぐに把握することができる.したがって七〇〇編の論文は数カ月かからずに読み終え,一九六五年頃までのこの分野の種類,方法,流れを整理することができた.
そこでこの結果を『文字図形の認識機械』という形にして一九六七年一月に出版した.この本はこの分野で日本の初めての本だった関係か,その後一〇年以上にわたって研究者によく読まれた.
(『情報を読む力、学問する心 (シリーズ「自伝」my life my world)』, p.57)

1親等は

「病院づとめを長いことやってから,介護の仕事をしてるやんか
「そしたらな,○○さん,私頭痛がするねん,もうあかんのかなって言う人,多いんやで
「そんなん,病院でよおけ,人が死んでるのを目にしててんから,そんなんと比べたらぜんぜん生死に関わることとちゃうから
「まあ,大丈夫やで,それだけこっちに言えるんやったらな,って言うようにしてんねんけど

それで,scientia potentia est って何?

「知識は力なり」(ちしきはちからなり)は、16-17世紀イングランドの哲学者フランシス・ベーコンの主張に基づく格言である。ラテン語では"scientia potentia est"、英語では"knowledge is power"。なお、「知は力なり」と訳されることもあるが、日本語の「知」が知識のほかに知恵など広い意味を含むのに対し、ラテン語scientiaおよび英語knowledgeは知識(あるいは知ること)という狭義に限定される。
(wikipedia:知識は力なり)