わさっきhb

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いま使われる皇紀と干支

しかし戦後になると皇紀はパタッと消えます。ここもGHQ占領政策の影響も考えられますが、一方で元号は生き残っています。どちらも天皇の権威を否定したいGHQ側からすれば目障りで、ある意味皇紀より元号の方が目障りとも考えられのですが、元号は残り、皇紀は消えています。
(略)
十分と言うのは、仮に明治から終戦まで皇紀が日常生活に浸透するほど使われていれば、戦後に廃れながらも相当期間は皇紀が残ったはずだからです。これがアッサリ消えてしまったのは、「使いたい」と想うほどの愛着が広がらなかったせいとも考えられるからです。

2011-06-08

かつて,どこかの保険会社が,西暦でもなく和暦でもなく,皇紀で年の情報を管理していると,読んだことがありました.少し調べてみると,Wikipediaに入っていました.

安田生命保険(今の明治安田生命保険)は、1970年代に個人情報管理のシステムを構築することになった。その際システムの担当者は、20数年後に生じるであろう2000年問題をすでに予測していたのか、あるいはシステム上で都合がいいからなのか、「年」の処理に西暦や元号ではなく皇紀を使用した[6]。そのことにより、安田生命保険は2000年問題を(皇紀の下2桁が00になるのは2040年なので)40年先送りしたとされる。
(wikipedia:神武天皇即位紀元)

ただし,「この節の内容に関する文献や情報源が必要です。」つきです.
もう少し詳しいものもありました.

実は安田生命は1940年を起点にプラスとマイナス99年を保持していたのです。メインフレームでいうところのパック10進数だと、1バイトで正負2桁の数字を保持できる方式で1841年から2039年まで、199年間の年の情報を持てます。1841年は伊藤博文が生まれた年で、1970年代というシステム化した年からすると十分古い年から、70年近く先まで持つ2039年まで1バイトで扱えるわけです。
膨大なデータを扱える今と違い、メインフレームの希少なDASD(ディスク)やテープのデータを小さくするのにこの年の持ち方は大いに役立ったことでしょう。計算も速くなりますし。
2000年問題が話題になった時に、安田生命の設計の巧妙さと、後にシステムに携わったクレジットカードの西暦下二桁しか券面に印字しない方式の不都合さを感じたものでした。
そして、単に2000年問題を先送りするだけでなく、100歳以上とかの人の寿餅に関わるデータを上手く扱い、40年先送り以上に巧妙な設計に感心しています。

皇紀を採用した安田生命保険の先見の明:データイズム:オルタナティブ・ブログ

2000年問題は,1990年代後半に目にしてきました.そして連想するのは,UNIX時間に起源を持つ,2038年問題です.…あるのね.

実際に2000年問題に対応した身としては、うらやましい。の一言に尽きます。
昭和、平成などの元号で表示する場合は変換するから、西暦だろうと皇紀だろうと内部で使用する分には関係ないし。
もうひとつ嬉しいのが、いわゆる2038年問題まで回避できること。
ここまで考えた安田生命の担当者には頭が下がります。

安田生命と皇紀: まる Chips

しかし一つ上の引用にあるとおり,1970年代のシステム構築ですので,Unixを使うという選択肢はなかったのではないかと.
最初のに戻りますが,

これもついでの話ですが、年齢早見表に今でも干支が残っているのは、干支を年の基準として広く用いていた最後の名残の様に思っています。江戸期以前で歴史を考えたものは、年齢早見表のような年表を作り、年号の年と今から何年前を整理しながら年代の特定を行っていたと考えています。

2011-06-08

教習所で,そこの中の人だったか外の人だったかから,簡単な身元確認のために干支を使うと聞いたことがあります.検定において,代理の受検をチェックするために,氏名を言ってもらったあとに「干支は何ですか?」と尋ねる,というものです.
代理受検する者は,氏名・年齢・生年月日は(短期的に)覚えるとしても,干支は本人が小さいころから慣れ親しんでいて,代理の者はすぐに出てこないだろうという考え方です.
もちろん「干支も聞かれる」のが分かっていれば,それも合わせて覚えればおしまいですし,同年生まれの代理受検だと意味がありません.今の教習所では,どうなのでしょうか.