- 作者: 矢野健太郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1984/06
- メディア: 文庫
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香港や日本では,奥さんが運転して数学者の旦那様はその横に座っているという風景はあまりみかけないが,アメリカではこのような夫婦を何組か私は知っている.
これらの場合の奥さんの言い分はだいたいつぎの通りである.
「数学者が運転する自動車なんかに危なくて乗れるもんですか.相当な危険をおかして走っているのですから,十分の上にも十分注意すべきなのに,運転しながら突然数学の問題を考え始めたりするのですからね.たとえば,前を走っている車のプレート・ナンバーが素数かどうかなんて考え始めるのですからね.事故を起こさないほうが不思議ですよ.数学者が車を運転するなんて考えただけでもぞっとしますから,私が運転して主人の送り迎えをしているのですよ」
(p.219)
これを読んで,一つ,記憶がよみがえってきました.ある教授と雑談をして,そこで,教授が家族旅行でずっとハンドルを握った,要は運転手だったとおっしゃっていました.
奥様は運転されないのですかと尋ねたら,教授はひと呼吸おいてから,
「死にたない!」教授からすると奥様の運転は危なっかしい,ということですか.遠出や長時間ドライブだと事故しやすいことを指しているのか,事故には至らなくても,運転を見ているとハラハラドキドキの連続で,寿命が縮むという意味なのか,までは聞けませんでしたが.
ちなみにうちの場合は,夫婦で運転能力には差がありません.あえて差を見出すなら,観察力と反射神経は夫,経験と度胸は妻,でしょうか.
とはいえ行楽では,私が運転することになります.というのも,妻が運転席につくと,長女がそこへ行きたがるからです.
写真は本文と関係ありません(長女が描いたパパ=私です):