わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

2011年3月〜5月

きりぬき

しかし,ゲーム社会,インターネット社会というのなら,それを逆手にとって,こんな考え方もできるのではないかと思うのです.
ゲームをしていく中で,一見,いらない要素があります.インターネットで知識を見つけるときには,打ち込んだ検索語から一発で見つかればいいのですが,そうでなければ,リンクをたどるだとか,検索をやり直すだとかします.
そういった要素や迷い道・寄り道は,自分のしたいことをするために,実は欠かせないのです.どうでもいいことを見つけて捨てることによって,そのゲームの目標が際立つのですし,検索だって,漫然とした欲しい物を起点に,「これではなく,欲しいのはこれ!」という明確な目的意識へと移ることができます.
そういったことを理解し---「まともな議論」の指導において,あらかじめ受講者に認識してもらえれば---捨てて実を得ることの大切さと,どうでもよさそうなコストにも意味があることを,認識してもらえるのではないでしょうか.

Re: すりあわせ

「自分で研究課題を決める」という人は,研究室に新たな貢献のできるチャンスです.決めた課題が,どのような点で解決する価値のある課題なのかを,まずは指導教員に対して,次にゼミなどで,そして卒業研究発表会の場で,それぞれ納得してもらえるよう,内容を練っていってください.

卒業研究・テーマの選び方

学術的な場で「大学をこれからどうするか」を議論する際,参加者の大部分は大学で教育研究をしていることもあって,大学を中心に置きたがるものですが,授業料を払ったり奨学金を得たり,また知識・技能を獲得したり新たな知識を積み上げたりするという,学生(個人,集団)を中心とした物の見方も必要だなあと感じました.

最初はパネル