わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

「2×8ならタコ2本足」を振り返る

そういえばTwitterでタコの話が出てたな…と思い出しまして,見直してみました.
asahi.com(朝日新聞社):2×8ならタコ2本足 - 花まる先生公開授業 - 教育です.

 次は、タコを使って、同様のかけ算に挑戦だ。
 「タコが2匹います。それぞれ足は8本。全部で足は何本?」。「2×8」と書いた子どもたちを見つけた先生は、しめしめという顔で、足が2本のタコを8匹、パネルに貼っていった。「宇宙人みたい」「タコじゃない」。あちこちでつぶやきの声が上がった。

状況がありありと伝わってきます.先生は,取材が来るので,入念に準備をしたのでしょう.記者が「しめしめという顔で」という表現を使いたくなるのも,理解できます.
私自身も授業の中で,ある程度の人数,間違えてくれるだろうと想定して2択や4択の問題を解かせ,授業後に集計してパーセンテージを出しています.解答を書かせたら終わりではなく,今の科目の2〜4択は授業開始時に実施しており,答え合わせも行っています.間違いから学んでほしいと考えています.
といったことで,先生が「足が2本のタコを8匹」を見せたことも,「今度はみんなが「6×7」と答えられた」ことも,子どもたちの学びの過程の1ページに映りました.


これへの論評を,見ることにします.そのはてブの後ろ,そこへリンクしているページは今のところ4つです.

まずは自分の日記のエントリ…

「4 cakes × 15 cents yields cents and not cakes」については,asahi.com(朝日新聞社):2×8ならタコ2本足 - 花まる先生公開授業 - 教育を連想しました.

Vergnaudと銀林氏の「かけ算の意味」 - わさっき

賛否を言っているのではありませんでした.
次は…

「かけ算の答えは論理的にも単なる数字の上でも、その順序によらない」ことを説明したいと思います。「2匹のタコがいます。タコの足は8本です。全部で何本の足があるでしょう。」この問いに対して「8×2」は正解です。「8本足のタコが2匹いる」からです。しかし、「花まる先生」に「計算を理解していない」と叱られてしまう「2×8」も同様に正解です。なぜでしょうか?このように考えることが出来るからです。それぞれのタコの足に「ア」、「イ」、「ウ」、「エ」、「オ」、「カ」、「キ」、「ク」とマジックで印をつけます。「ア」の足は2本あります。同様に「イ」も2本あります。「2本の足が8種類ある。」だから「2×8」でも同じ答えになるのです。ですから、かけ算というものが、「同じ数の足し算を複数回行う」演算であることを理解していれば、順序によらないことは、いつでも(難しい言葉を使えば普遍的に)成立し、否定する理由は全くないことがわかります。全てのかけ算でこのような論理の変換が可能だからこそ、かけ算の順序は変えても良いのです。。

ƒ^ƒR‚Ì‘«‚̐”‚¦•û-ŽZ”‚Ì‹³‚¦•ûFToda Yorozu Kenkyujyo(TYK)

トランプ配りのバリエーションです.当雑記でこれまで書いてきましたが,トランプ配りは「積の乗法を使って倍の乗法を解く」という行為です.小学校の算数教育は,2年生でアレイ図のドットの数を数えるにせよ,長方形の面積の公式を導くにせよ,倍の乗法に基づいていることが,書籍やWebの情報(学習指導案)から読み取れます.かつてそのことを,次のように表現しました.

  • 倍指向で,倍の乗法の問題を解くとき,かけ算の式は1通りです.
  • 倍指向で,積の乗法の問題を解くとき,かけ算の式は2通りです.
倍指向,積指向

実際,囲い込みのなされていないアレイ図をもとに,一つ分の大きさが分かるように囲わせ,それをもとに2種類(ときにはもっと)のかけ算の式を書かせるという出題も,ずいぶんと目にしてきました.
話を戻すと,この種の出題にトランプ配りを持ち出すのは,算数教育の現状をじゅうぶんに理解しているとはいえません.もし,「この考え方こそ,算数教育に取り入れるべきだ」というのであれば,それが効果的であることを立証してほしいものです.
私が把握していることを書いておくと,国内では,トランプ配りを乗法指導に生かした書籍は見当たりませんし,遠山が1972年に書いた,トランプ配りを含む記事が,おととし刊行の『遠山啓 エッセンス』に収録されていないことからも,これの価値を数教協の中で見出せていないように思います.海外に目を向けると,フランスと中国で,積の乗法に基づく指導について,課題が指摘されています.
もう一つ気になるのがあって,文章のかなりの部分の背景になっているように思えるのですが,記述を取り出すと

本記事において、典型的な計算の誤りとして以下の例が挙げられています。

ƒ^ƒR‚Ì‘«‚̐”‚¦•û-ŽZ”‚Ì‹³‚¦•ûFToda Yorozu Kenkyujyo(TYK)

にある「計算」という言葉です.直後の事例を読むと,出題をもとに,「3×5」または「5×3」といった式を立てるまでのところも,「計算」に含めていると解釈できます.
ここでもまた,算数教育をきちんと理解しているのかと,思わずにはいられません.事例集よりは少し一般化された論説を読むと,「式を立てるまで」と「式を処理して数値を引き出すこと*1」に分けた検討がなされています.このうち前者は「立式」で,後者が「計算」です.そして「立式」が適当かどうかを判定したり,場面を式に対応づけたりする際には,「演算の意味」「演算決定」が重要な要素となります.一方,「計算」に関しては「計算手続き」が土台となり,交換法則や結合法則はこちらに含まれます*2.それらの違いについては,10月16日に挙げた書籍が入口になると思います.最近読み終えた『小数・分数の計算 (リーディングス 新しい算数研究)』でも,p.143から始まる論説において,図の中で「立式過程」と「計算過程」とを分けています.
毒を吐いとこ…本を多数読めとは言いませんが,本を中心としてインプットを行い,事項を頭の中で整理しておかないと,もっともらしい文章ができたとしても,現場で携わっている方々や,現場に影響力を持つ専門家に対して,何も響きません.
4つのリンクのうち,残る2つは同じ内容です.推論されているところを,取り出します.

  • 掛け算は「ひとつあたりの数×いくつ分」の順序に書くのが正しい。
  • したがって「2×8」の2はひとつあたりの数で8はいくつ分を意味している。
  • ここではタコの足の総数を求めさせる問題を扱っている。
  • だから「2×8」の2はタコ1匹あたりの足の数を意味することになる。
  • ゆえに「2×8」では「足が2本のタコが8匹」となってしまうので誤りである。
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/LaTeX/20101123Kakezan.html#Q38

ミスリーディングなのは,最初の項目の「正しい」でしょうか.個人的にはこう書き換えたいところです.

  • 掛け算の式は「ひとつあたりの数×いくつ分」で表すことを、これまで学習してきた。

言い換えると,その表し方は「約束事」なのです.学年が上がれば,数を数えるのではなく量を求めるだとか,0や小数・分数,文字などを含んだ状況でも,乗法を適用することになり,それぞれに応じて「約束事」が変わります*3
そしてその約束事のもとで,言い換えると約束事を根拠として,正否が決まります.『算数好きにする教科書プラス 坪田算数2年生 (TEXT BOOK PLUS)』p.73には,「…式の表現が一つ分に当たる数といくつ分に当たる数を書く順が約束に合っていないし…」とあります.
なお,上の箇条書きでは,場面からさっそく式に行っていますが,問題文が何を表し,そこで「ひとつあたりの数」が何になるかの認識についても,約束事がある*4ことに,目が向けられていないように見えます.
「約束事」が存在することに留意すると,次に,そういった約束事をいつどのように教える(児童・生徒らは学ぶ)かを検討する必要に迫られます.こうなるとトランプ配りだとか交換法則だとか,外国ではどうかとか持ち出しても,それらは別レイヤの話です.教育や指導はどうなっていて,学習環境の変化や学習指導要領・教科書の改訂に留意しつつ*5,いつ何をどのように与え,身につけさせていけばよいのかの話になります.
なお,後に例示されている,3羽のウサギで3×2を誘導させようとする件に関して,遠山の1972年の記事を挙げないのは,不誠実なように思います.そしてそのアプローチは,トランプ配りの別形態であり,教育上の課題は前述したとおりです.


もとの朝日新聞の記事には,釈然としない思いもありました.それより前にhttp://www.asahi.com/national/update/1231/TKY201012310282.htmlを読み,これについて同日にエントリを書いたというのがあります.
後に,類例(むしろ先行事例)があることを知りました.『板書で見る全単元・全時間の授業のすべて 小学校算数2年〈下〉』です.見開きで一つの板書例になっており,かけられる数とかける数を反対にして書くと意味が変わってしまうことを,次のとおり,図にしています(pp.46-4747-48).


この本の意義については,以前に書きました.少しだけ,抜き出します.

まず,「1つ分」と「いくつ分」で「全体の数」を求める計算,という形での「かけ算」を,児童が理解し使える---必要な場面で適用できる---ようにするために,何時間もかけ,文字,図,発言を組み合わせ,いろいろな出題の形態・内容を通じて指導していることです.

9月10日

最後に,「a×b」「b×a」がともにその場面(出題)の意味を表せる場合と,一方だけが表せる場合があるのが,容易に確認できることです.(略)

信頼関係・学習環境について,私はこう考えています.バツになった児童は,正解のかけ算の式を見たときに,問題文と照らし合わせて,「あっそうだ,授業で言っていた!」という反応をします.そうなるよう,授業で類題を出し,クラスのみんなで確かめ合った上で,場面や数値を変えて,テストで問うているのです.

まとめ.

  • 「タコが2匹います。それぞれ足は8本。全部で足は何本?」に対して「2×8」が間違いであることを確認する授業のやり方には,異論ありません.
  • 教育としてどうあるべきか,この事例でマルとすべきかどうかは,より多数の指導例・出題例を踏まえた上での議論があっていいのではないかと考えています.マルとする論者の持つ,(数学ではなく)算数・数学教育の“よりどころ”が何なのか,よく見えていません.
  • 「かけ算の(式の)順序」という問題設定をすると,専門家からかけ離れた議論・結論になりがちなので,注意したいものです.

(同日の晩にかなり手を加えました.)

*1:計算(けいさん)の意味 - goo国語辞書一部改変.

*2:「(同数)累加」は,計算手続きよりも,演算の意味の中で言及されることが多いように思います.外形的には《算数解説》でそのように書かれているというのがありますが,加法と乗法を結びつける役割があるという点も,無視できないでしょう.

*3:中学では「×」は書かない,というのがもっとも有名でしょう.まあ大学になると増えてくるように感じますし,全国学力テストで「×」を使った式を書かせる中学生向け出題も,あるのですが.

*4:場面の認識については,今月11日(1.他の書き方が間違いである理由を説明していない),先月17日(4.「一つ分の大きさ」の理解支援のために)で書きましたのでご覧ください.

*5:学習指導要領・教科書(の一部記述)に反対意見を言うとして,それよりも良い,前後の学年の学習まで見通せた上でのパラダイムや具体的な指導方法は,形になっているのでしょうか.