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「かけ算の順序」のダブスタ考

要約

ある掲示板で,「かけ算の順序」の主張にダブルスタンダードを感じました.手持ちの情報をもとに調査し,その種の主張をする人々の立ち位置を探ってみました.

はじめに注意

当雑記で「かけ算の順序」という言葉を使うとき,「かけ算の式の順序にこだわってバツを付ける教え方は止めるべきである」(http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/LaTeX/20101123Kakezan.html)という主張に賛成する人々を念頭に置いています.その主張の攻撃対象,すなわち「a×b」の式のみ正解とし「b×a」だと間違いという採点や指導をする人々に対して,私はその言葉を使わないようにしています.
「かけ算の順序」が,(広義の)論文や学術研究に見られないことは,7月29日に調査しています.それに替わる,ふさわしい表現は「被乗数と乗数の区別」であり,5月20日(金田論文)10月3日(乗数効果)13日(Greer)で実態調査や出題例を取り上げています.
ネットを超えて広まった一因として,今年5月に出版された『かけ算には順序があるのか (岩波科学ライブラリー)』があります.内容に関して,「数学教育協議会以外の団体への言及がない」(5月31日10月16日),「遠山が第2用法を踏まえているのを無視している」(7月28日),「“十進位取り記数法”や“単位”を連想すべきトピックで,順序にこだわってしまっている」(10月2日)などを指摘しており,その信頼性に疑問を持っています.

掲示板と,興味を持った主張

いつもなら,どんどん引用していくのですが,「他人の投稿を転載してはいけない」というルールがありますので*1,必要最小限だけにします.トピ主さんが書いた出題は,次のとおり.

【子供が5人います。お菓子を2個ずつ配ると、お菓子は全部で何個になりますか?】

レスをざっと読んでいきました.発言小町でこのトピックは,過去に見たことがありません.他の掲示板よりも,学校教育への理解を示したレスが多いかなという感触です.典型的な「かけ算の順序」論法も,ずいぶんとあります.「鞍点」(4月27日)を,思い出しました.
一つのレスの中に,ただしこちらで手を加えさせていただきましたが,次の2点を主張しているものがありました.

  • この問題での正しい単位は「個/人×人=個」
  • 順序を主張する人は「個×人=個」と言うが,おかしい

敷衍すると,次のようになります.そのレスでは,5×2=10が間違いとすることへの賛否を明記していませんが,「順序を主張する人は…おかしい」という書き方から,反対と考えている可能性が高いです.はっきり書くと,「もとの文章題では,2×5=10だけが正解なのではなく,5×2=10も正解とすべきである」ということです.
それと別に,2つを組み合わせて「この問題での正しい単位は「個/人×人=個」であり,「個×人=個」という単位の付け方は間違い」と書くこともできます.こちらは一つしか正解を認めない形です.
遠山の言(『遠山啓著作集数学教育論シリーズ 5 量とはなにか 1 (1978年)』p.117)を借用すると,「この式の読み方として,2個/人×5人=10個だけが正解であり,ほかを誤りとする理由はどこにもない。もともと算数の考え方は一通りしかないと思い込むのがおかしいので,多種多様な解き方があってよいのである。」となります.もちろん『かけ算には順序があるのか』をもとにすれば,5人×2個/人=10個や,5個/回×2回=10個といった考え方も出てきます.そうではなく「2個×5人=10個」は「おかしい」,すなわち多種多様な考え方・解き方に含まれないとする思想に,違和感を覚えたのです.
トランプ配り(カード式配り方)または交換法則により,問題文の場面から5×2=10を導き出せるという解釈・主張があります.その一方で,2×5=10という式(これも場面です)に対し,「2個×5人=10個」という解釈で読み取ることを「おかしい」としています.これはダブルスタンダードではないのでしょうか.
展開していく前に一言.交換法則に関するこちらの所感は6月25日(8)ならびに10月16日,トランプ配りに関しては9月4日ならびに10月18日に書いています.

式の読み取り方の分類

「子供が5人います。お菓子を2個ずつ配ると、お菓子は全部で何個になりますか?」という問題文に対して,児童が2×5=10と書いたとき,正解,すなわち場面を表した式であると判断するための考え方として,代表的と言えるものが3つあります.
まず最初は,「1あたり量×いくつ分=全体量」です.1あたり量は,パー書きの単位で表されます.今回の問題であれば,1人あたり2個ということで,「2個/人」です.いくつ分のほうは「5人」です.かけ算の式は「2個/人×5人」であり,計算をして「2個/人×5人=10個」を得ます.
この方式は数学教育協議会(数教協)が普及させました.1あたり量は内包量に,いくつ分は外延量に発展していき,複内包量(先月18日),逆内包量*2といった言葉もあります.人物名として遠山啓,銀林浩を挙げることができ,手元にある著書だと『数の科学―水道方式の基礎 (1975年) (教育文庫〈7〉)』『量の世界―構造主義的分析 (1975年) (教育文庫〈8〉)』『かけ算とわり算 (子どもを賢くする―よくわかる算数の授業)』あたりです.何度も書いて恐縮ですが,『かけ算には順序があるのか』も,ここに属するといっていいでしょう.
パーを含む単位を添えて解釈することは,英語文献にも見られ,[Greer 1992]には「x[measure1] × y[measure2 per measure1] = xy[measure2]」(p.278),「$35 per person-day × 52 person-days = $1820」(p.283)という例(別々の文献から)があります.
2番目の考え方は,倍概念と呼ばれます.さらに分類ができるのですが,本日は簡単のため,「かけられる数と答え(積)の単位を同じにする」と「かける数の単位は,場面(問題文など)をもとにして付けるが,計算において無視される」という2個1組に限定します.これを理解するには,次の3つの文章題を見るといいでしょう.

  • 子供が5人います.お菓子を2個ずつ配ると,お菓子は全部で何個になりますか?
  • 袋が5つあります.お菓子を2個ずつ入れると,お菓子は全部で何個になりますか?
  • 兄の持っているお菓子の数は弟の5倍です.弟は2個持っています.兄は何個持っていますか?

いずれも「2×5=10」です.かけられる数と積には「個」の単位がつけられますが,かける数は異なる単位*3です.ですがお菓子の個数の関係を見れば(図にすれば),いずれも同じです.これを共通化(一般化)させ,被乗数や乗数が小数・分数になっても適用できるようにした考え方が,倍概念というわけです.
この倍概念について,数学的な検討も多く見られます.高木貞治,南雲道夫,小島順,田村二郎の名前を挙げることができます*4.誰がどんなことを書いたかについては,10月24日(数学的には?),同月7日をご覧ください.
3番目は「一つ分の大きさ×いくつ分=全体の大きさ」…と言いたいのですが,これを含む大きな枠組があります.それは,場面を式で表すとき,式に単位は付けないという考え方です(1月5日 (1)(2)).
これは,計算手続きにおいて量とか単位*5とかを考えないという意味であり,小学校の算数の範囲では,有理数体の性質を余すところなく使えるというメリットをもたらします.比較すると,1番目,2番目の考え方では,その数理的な土台として,量を対象とした交換法則*6結合法則や,0を含む演算*7などを,定義するか証明する必要があります.
その反面,3番目に挙げた,式の根拠と枠組は,単位を取り去る分,式が場面を表したものであるかをチェックするための負担・手間がより高くなるように見えます.これは教育的配慮の一種なんだろうなと,感じています.現在では,「算数的活動」に組み込まれています.
工学的な言い方をしてみると,立式時にコストをかけておく(教育者・学習者にかけさせる)ことで,「立式」と「計算」を分離をするという利得があるということです.
この“分離”は,プログラミングに携わる者として「疎結合」を連想します.日本では「一つ分の大きさ×いくつ分=全体の大きさ」,他国では「いくつ分×一つ分の大きさ=全体の大きさ(に相当するその国での言葉の式)」を,立式時に適用できるルールにそれぞれ入れておけば,国内外での式表示の違いを吸収でき,『坪田耕三の算数授業のつくり方 (プレミアム講座ライブ)』のいう「式は世界共通*8」「式の裏に隠れている文化は違います」(p.138)に納得できるわけです.
なお,3番目のアプローチを明快に記した本は,ちょっと見当たりません.算数的活動(言語活動)に関して,最もアウトプットを出しているように見えるのは「筑波の算数」なので,その雑誌や著書から学ぶのがよいのかもしれません(7月24日).小学校教育の枠を外すと,「ファンタジーの法則」(2007年7月30日2010年11月25日)が関連しそうです.また,外国と算数教育で交流を図る話は,先月9日に取り上げています.

5×2は?

「子供が5人います。お菓子を2個ずつ配ると、お菓子は全部で何個になりますか?」という問題文に対して,児童が5×2=10と書いたとき,上の3つではそれぞれ,どのようにして正解・不正解を判断することになるのか,検討していきます(「子どもがどのように考えたのか」については,12月5日をご覧ください).

  • 最初の考え方,すなわち「1あたり量×いくつ分=全体量」では,次の4通りが考えられます.
    • 問題文から,5は1あたり量にならないので,不正解
    • トランプ配りにより,5個/回という1あたり量を得ることができるので,以下略で正解
    • 量における乗法の交換法則(誰かが量の理論を構築していて証明してくれている)をもとに,「いくつ分×1あたり量=全体量」を用いて,5人×2個/人=10個となるので正解
    • 『かけ算には順序があるのか』p.43の方法をもとに,5人を5個/(個/人)とすることで1あたり量とし,以下略で正解
  • 2番目(倍概念)で,「かけられる数と答えの単位を同じ」のルールに照らし合わせると,かけられる数は「5人」,答えは10個?10人?いずれにせよおかしい(関連:今月15日の最後の画像)ので不正解
  • 3番目(「一つ分の大きさ×いくつ分=全体の大きさ」,単位なし)では,場面から5は一つ分の大きさにならないので不正解

こうして場合分けをしていくと,「5×2=10を正解とするための理路」が見えてきます.「1あたり量×いくつ分=全体量」のみでは,不正解となり,これが「かけ算の順序は数教協も守っている」という主張の背景になります.そこに,遠山が著したトランプ配りか,『かけ算には順序があるのか』に記載されている法則・手法を加えることで,正当化できるわけです.
なお,トランプ配りは2番目や3番目の考え方に適用できるのではないかという主張もあり得るので,簡単に意見を述べておくと,倍概念(=倍指向)とトランプ配り(=積指向)は氷炭相容れずで,3番目は,「場面の認識」「作題」(具体的なことは,別の機会に書くことにします.両方に関係する出題として,11月25日(3.お菓子)があります)の経験・蓄積を踏まえると,そこにトランプ配りの解き方を加えて教育が良くなる見通しが得られないため,考えないという次第です.

おわりに

「2×5=10」に添える単位として,「個/人×人=個」だけを正しいとし,その一方でもとの問題で「2×5=10」だけが正しいのはおかしいとするのが,ダブスタに見え,これまで読んできた情報をもとにいろいろ思案してみたのですが,分類していけば,そういう主張が何に属し,それに与しない人とどこが違うのかが,見えてきました.まさに「分かる」とは「分ける」です.
どのような前提条件で,5×2=10を正解とするか,また不正解とするかについての論理を,構築することができそうです.その前提条件や推論の方法により,どちらを支持するか読み手が判断する…となればディベートです.『武器としての決断思考 (星海社新書)』を読み終えたことも,本日のエントリに影響しています.
いえ,私がしたいのは,ディベートではなく,頭の中の整理です.それが自分の今後に役立ち,それと読者の皆様に,ささやかでもいいので影響を与えることができればなあと思っています.
直接,小学校教育に携わる機会もなさそうです.自分の関心と誠実さの範囲内でしか活動できないことに留意しつつ,様々な考え方を(新しい論を見つけても,同定や再構築が容易なように)分類するよう努め,それぞれの土台や付随する性質・技術などを明らかにしていきながら,将来を見据えてどれが最も良さそうか(現在の妥当解)を考え選択していくための情報を整備していくとします.

(2016年12月追記)本記事はやや古い内容となっています.以下もご覧ください.

*1:細かいことを言うと,「投稿のルール」であり,投稿しない人までそれに従わせるのはまあ困難ですが,ルールを尊重することにしました.話は別ですが「モデレータ制」「レスは500文字まで」というのは興味深い運営方法で,研究室で何かできないか考えたくなってきました.

*2:仕事算に有用とのこと.

*3:算数教育において「倍」は単位ではなく無単位とみなされます.このことは,「赤の長方形は縦3cm横2cm,青の長方形は縦3cm横4cm.青の面積は赤の何倍?」という問題や,最後の青と赤を逆にした問題で,必要になります.

*4:ルベーグも関わっていることを,国内外の文献で知りました.

*5:繰り上がり計算などで十,百などを単位とみなす指導もありますが,それらではなく,日常的な意味の「個」「cm」などを指します.

*6:『かけ算には順序があるのか』の,繁分数のような単位については,8月20日に書いたとおり量の等価関係に疑問があります.また『量の世界』を通し読みしたものの,その種の量や,量を対象とした交換法則は見当たりませんでした.

*7:量と数の理論 (1978年)』pp.26-27では,“ゼロ量”と“0(という数)”を導入し,「ゼロ量にどんな数をかけてもゼロ量」「0をどんな量にかけてもゼロ量」を示しています.

*8:と引用したものの,wikipedia:en:Divisionを読んだところ除算の表記は要注意に思えるのですが.