わさっきhb

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0にかける,0をかける

「0にどんな数をかけても0」と「どんな数に0をかけても0」について,手元の本を見直しました.

数学の所謂数は零を包括す.数としての零の性質及其四則算法の意義は次の如し.
(略)
三, 0.a=0 a.0=0
によりて0の関係せる乗法の意義を定む.0なる数a個の和を0.aなりとせれば,其0に等しきことは既に二に含まれたり.(略)
乗法の組み合はせの法則,交換の法則及加法に対する分配の法則は0の関係せる場合にも仍成立す.(略)
(『新式算術講義 (ちくま学芸文庫)』p.31)

高木貞治による,「0にどんな数をかけても0」「どんな数に0をかけても0」の説明です.
ここで少し脱線.同じページに,次のように解説があります.これが,今でいう「かけ算の順序」のルーツになると言ってよさそうです.

加法及乗法は組み合はせの法則及交換の法則に遵ふが故に,多くの数を加へ又は乗ずるに当りて,其順序を如何様に変更するとも結果は常に同一なり.此事実は既に前文に於て屡〻黙認せられたり.
(強調は引用者)

本をくまなく読み直せば,「乗法の順序」も出てくるのかもしれません.なお「加法の順序」はp.27,「算法の順序」はp.37にあります.「順序」という言葉ではなく,「順序はどちらでもいい」という観点で見ていくと,有理数でも乗法の交換法則が成立することは第七章で示されています.無理数を対象とした場合は,第九章でα:β=γ:δならばα:γ=β:δを定理として証明した(pp.280-281)のち,α,βの積γをγ:α=β:1を満たす数として定義する(p.282)ことで,「此定義に従ふときは乗法の交換の法則は定理三の直接の結果なり」(同)と記しています.
本をきちんと読まず,我ながらよくもまあ,「かけ算の順序」と書く人々を攻撃してきたもんだなあと申し訳なく思う次第です.今後は,謙虚な文章を書くよう努めます.
さて本題に戻ります.以降では,小学校の算数で「0にどんな数をかけても0」と「どんな数に0をかけても0」をどのように学ぶまたは教えるといいのかに,焦点を当てます.したがって「どんな数」は正の整数です.「0に0をかけても0(0×0=0)」も,とりあえず対象外とします.
そうすると,「0にどんな数をかけても0」は,累加によって説明ができます.0+0+…+0=0です.「…」は大人モードなのでまずいというなら,0×1から0×9までを累加で表して,いずれも結果が0になるとすればいいでしょう.
しかし,累加の欠点としてよく指摘されるように,「どんな数に0をかけても0」のほうは,それでは説明がつきません.
そこで,工夫が求められます.見てきた限りでは,次の2種類に大別できます

  • かけ算の意味から考える(意味・場面)
  • かけ算の性質を利用する(性質・決まり)

「かけ算の意味から考える」は,「かけ算が適用される場面を発見する」に置き換えることができます.累加による意味づけを良くないとする,数学教育協議会サイドから,2つ取り上げます.

(略)大阪の星野和夫氏がカエルのヘソで説明する方法を話した。カエルが3匹いたとすると,ヘソは全部でいくつか,というのである。そこで
0×3=0
が出てくるのである。
この方法はユーモアがあり,一同は笑ったが,それは感嘆を交えた笑いであった。こう教えられた子どもも笑うだろうが,笑った子どもは一生忘れないだろうと思われる。そういう点から見ると100%の教育効果をもっているすぐれた方法であるといってよい。
(略)ダルマが3つあったら,足はいくつかというと,それに対してはやはり
0×3=0
が出てくるのである(これをくふうした先生の名前を忘れたので,後で知らせてください)。(略)
(『遠山啓エッセンス〈4〉授業とシェーマと教具』p.72;標題は「研究と実践」.巻末によると初出は『数学教室』1963年6月増刊号)

かける0
どのつるもおなかがすいて,ぜんぶのつるが飛び立ってしまえば,つるはいなくなります.このように,これまでいたものがいなくなったことは,0で表わします.
「つるが0羽いる」
というのは
「つるがいない」
というのと同じです.日本語で「0羽いる」というと変な言い方だと感じますが,外国語では,このような言い方のほうが,ふつうだということがあります.
(略)
2本/羽×1羽=2本
となります.次に「0羽のつるの足の数は何本ですか」と聞かれたら,頭の中で少し考えてみて,これは
「つるがいなくなってしまいました.つるの足の数は何本ですか」
と聞かれたのだとわかります.
つるがいなくなれば,足はたしかに消えますから,足の数は0本です.だから
2本/羽×0羽=0本
です.これをタイルで表すと,1羽あたりの足が,2本であることだけを表わす図になります.
(略)
0にかける
これまでにいたものがいなくなったとか,これまでにあったものがなくなったときに,0を使いますが,もともとないことも0で表わします.
だれもがよく知っているように,かえるにはへそがありません.これを「かえるには0個のへそがある」とか,「かえるのへそは0個だ」といいます.つるにもへそがありません.だから
「つるには0個のへそがある」
のです.つるが3羽いても,へその数はもちろん0個ですから
0個/羽×3羽=0個
です.これを図で表わすと,1羽分のへそを表わすところにも,全部のへそを表わすところにも,何もない図ができます.
(『かけ算とわり算 (わかって楽しい算数教室 1)』pp.15-18)

数教協スタイルの「1あたりの数(1あたり量,内包量)」や「パー書き」を採用していないところでも,具体的な場面を挙げて,「0×3=0」「3×0=0」を解説している文書があります.小学校学習指導要領解説 算数編(《算数解説》)です.

「内容の取扱い」の(4)では,「乗数又は被乗数が0の場合の計算についても取り扱うものとする」と示している。例えば,的当てで得点を競うゲームなどで,0点のところに3回入れば,0×3と表すことができる。3点のところに一度も入らなければ,3×0と表すことができる。0×3の答えは,実際の場面の意味から考えたり,乗法の意味に戻って0+0+0=0と求めたりする。また3×0の答えは,具体的な場面から0と考えたり,乗法のきまりを使って3×3=9,3×2=6,3×1=3と並べると積が3ずつ減っていることから,3×0=0と求めることができることに気付くようにする。(略)
(《算数解説》p.107)

このような「意味・場面」によるアプローチを,批判する論説もあります.

整数のかけ算は,大方の場合(1つ分の大きさ)×(幾つ分)ということで意味づけられる.しかし,その中で0のかけ算は例外といわなければならない.まだ,0×3のように被乗数が0の場合には,次のような具体的場面も想定することができるし,その結果も0+0+0として整数のかけ算の場合と同じようにして求めていくことができる.

0×3の具体場面
右のような的あてで0点のところに入った得点(図省略)
0×3

ところが,3×0や0×0は,的あてなどを素材にして「3点のところに1回も入らなかった」「0点のところに1回も入らなかった」といった形で一応の場面設定はできても,それをもって3の0個分,0の0個分といった意味づけはできないし,ましてやその結果を累加の考えで求めるといったこともできないわけである.
的あてゲームの得点ということだけを考えるならば「3点のところに1回も入らなかった」「0点のところに1回も入らなかった」といった事態は,いずれも「無」以外の何ものでもなく,それを3×0や0×0のかけ算の式で表していく必要性は全然ないわけである.それなのに,なぜ,このような事態を3×0なり0×0として式表示していくかといえば,そのように書き表していったほうが,形式が整って都合いいということにほかならない.
3点のところに2回入った…………3×2=6
3点のところに1回入った…………3×1=3
3点のところに全然入らなかった…3×0=0
とすれば,一連の関係を「かけ算」ということで形式を整えていくことができる.そして,形式を整えることによって3×2と3×1で成り立っていた原理(乗数が1増減すると積が被乗数の分だけ増減する)が,3×1,3×0の間でも成り立ち乗法の仕組みが一層深く理解されていくことになるわけである.
(略)
意味の拡張には,意味のギャップをうめるといったような観点で,これまでよりもより高い次元から見つめなおしていくといった場合もあるが,3×0のように形式を整えるといった観点で拡張する場合もあるわけである.
(『整数の計算 (リーディングス 新しい算数研究)』p.115;手島勝朗「かけ算の意味と方法の具体的展開―整数のかけ算―,新しい算数研究,1978年4月号(No.85))

ここでは「3点のところに1回も(全然)入らなかった」は,かけ算の意味からではなく,式の整合性を根拠として,3×0=0と表せるとしています.なお,「乗数が1増減すると積が被乗数の分だけ増減する」については,《算数解説》ではp.108に記されており,0を含む乗法と同様に,第3学年で学習することとされています.
手島論説は,「かけ算が適用される場面」を提示しつつも,「かけ算の性質を利用する」ことによって,3×0=0を得ています.「意味・場面」と「性質・決まり」のハイブリッド型,とも言えます.
同様のハイブリッドは,『算数教育指導用語辞典』p.191にも記載されています.そこでは玉入れゲームを用いています.
なのですが,同じページの脚注右カラムに,これまでにない方法で「どんな数に0をかけても0」を示しています.

数学的には,分配法則を用いて,
a×(0+1)=a×0+a×1
0+1=1,a×1=aであるから,
a=a×0+a
よって,a×0=0

斬新に思えたのですが,冷静に見直してみると,この証明,大人モードであっても,まずいように感じます.というのは,分配法則a×(b+c)=a×b+a×cが,b=0のときにも成り立つことを保証していないからです.
そしてこのことは,「乗数が1増えれば積は被乗数分だけ増える」と背理法を組み合わせた,次のような証明*1も,適切でないことを示唆します.

  • 3×0=3とする(右辺は,0以外なら何でもよい).
  • これに「乗数が1増えれば積は被乗数分だけ増える」を適用すると,3×1=3+3=6となる.
  • もう1回適用すると,3×2=6+3=9となる.
  • しかしこの等式は,九九で学習した「3×2=6」と矛盾する.
  • したがって,3×0=0でなければならない.

この流れでも,「3×1=3×0+3」としていいのか*2が,疑問としてのぼってくるわけです.
「かけ算の性質を利用する」を採用するとき,次のようにするのが,誤解を生じにくいように思えます.

  • 3×1(被乗数は,1から9までならどれでもいい)から3×5あたりまでとその計算結果を書く.
  • 「乗数が1増えれば積は被乗数分だけ増える」ことを確認する.
  • 逆方向から見て,「乗数が1減れば積は被乗数分だけ減る」ことを確認する.
  • 3×1の式の上に3×0を書いて,この式の答えは何とすればいいかを問う.
  • 3×0=0を,みんなで共有する.

同様のことは,階乗で0!=1と約束するの際にも,なされます.計算結果となる0と1の違いは,加法と乗法の単位元の違いでもあります.実際,乗法を同数累加と考えれば,加法の単位元は0です.階乗は累乗…というと誤解を招くので,かけ算の繰り返しと考えれば,その単位元は1です.
あともう一つ,小学校の範囲を超えますが,『量と数の理論 (1978年)』pp.26-27も手短に書き残すことにします.ユークリッド式量空間Eには,ゼロ量Oが含まれていない(含めると,A+B>Aが成り立たなくなる)のですが,EにOを付け加え,拡張された量空間E~を定めます.そこで自然数nをE~の倍変換と考えれば,E~の要素であるゼロ量に関しては,累加とOの性質から,O×n=Oとなります.また0(ゼロという数)を,E~の任意の量からゼロ量への変換とみなして,U×0=Oとして定義します.ここまでは,「ゼロ量にどんな数をかけてもゼロ量」「どんな量にも0をかけるとゼロ量」です.他の性質も利用することで,a×0=0×a=0,ただしaは自然数,が証明できるようになっています.
意味をもとにしても,0以外で成り立っている性質を0でも成り立たせるのにしても,「0にどんな数をかけても0」と「どんな数に0をかけても0」の根拠となるものは,それぞれずいぶんと異なっていることを,あらためて確認しました.

過去に書いたこと

(最終更新日時:Fri May 4 07:47:58 2012ごろ.「過去に書いたこと」で1件追加)

*1:証明というよりも,「3×0=3」と書いてしまう児童への対応の仕方とするほうが,実用的でしょうか.

*2:「3×1=3」のほうは,「乗数が1増えれば積は被乗数分だけ増える」と背理法を組み合わせて説明ができます.まあそんなことをしなくても,九九の表を見れば一発なのですが.