文章全体にはそこそこ同意しながらも,「不吉な臭い」のある内容で,そのことは,文章をすべて終えたあとの,中西 正紀さんのコメントで明快なまでに指摘されていました.
学生に対して,いや世の中はこうなっているのだよと諭し,それが物議を醸したといえば,トリアージ論争を連想します.発端となったエントリへはあえてリンクしませんが,当時,大学のうちに学んでほしいのは,トリアージか?を書きました.2010年に,1冊の本やWebの情報から,「院内トリアージ加算」というのを知り,余談で話すトリアージへとつながります.
「東大(生)」に関する本も,いくつか思い浮かびます.
- 『内定とれない東大生 ?「新」学歴社会の就活ぶっちゃけ話 (扶桑社新書)』(昨日,生協で見かけたのですが,購入していません.)
- 『大学という病―東大紛擾と教授群像 (中公文庫)』,戦前の東大経済学部
- 『カルチャーショック ハーバードvs東大─アメリカ奨学生のみた大学教育─』,表現力向上の授業
これまでの学習形態を当たり前のものとしていて,教員の目で今後苦労するだろうなという学生に対して,どんな視点でアドバイスすればいいか…「wikipedia:弁証法(的)論理学」「wikipedia:止揚」になるのかなと思います.
学生向けに言うのなら…「君たちのこれまでの勉強方法では,使い物にならないよ.大学に合わせた学び方をしなさい」ではなく,「みなさんのこれまでの学習方法と別に,こんな考え方・方法があります.ですがそれは,これまでの学習を否定するものではありません.両者をうまく取り入れて,問題解決に役立てていってください」といったところ.
関連しそうなエントリは,次の2つです.
(最終更新日時:Fri Jun 29 07:00:42 2012ごろ)