わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

怒りをこめて振りかえれ

遅まきながら,フライングダッチマン「human ERROR」のYouTube動画を観ました.

京都三条大橋ゲリラライブとのこと.とはいえ開始20秒ほどのところで,警察官の姿も見えます.
それで聞いていって,気になったことがあります.
原発の立地や運営は,この語りの中で出てきた言葉,たとえば

原発一基造るのに1兆円程の援助金が国から電力会社に降りて
電力会社はターゲットを決めてその土地の人達に近づいて金をばらまくんだよ
おっさんをキャバクラに連れていって、お年寄りは温泉旅行
 
接待接待接待
 
「街が復興するよ」なんて子どもだましな嘘付いて
反対派推進派に人々の心をお金で引き裂いていくマニュアルがあって
海を売った漁師に莫大な漁業権を支払って
安全対策やら危ない秘密の実験やら
プロパガンダの広告費で莫大に掛かっているそのお金はみんなの税金だよ―
そうやって59基ある日本の原発は造られてきたんだよ

FRYING DUTCHMAN humanERROR (歌詞書き出し) - みんな楽しくHappy♡がいい♪

というのでは語り尽くされていない,雑多なことを背景として,なされてきたわけです.
これはそのゲリラライブも同様であって,これが多くの人に届くよう,いろいろな要素をもとに計画されたはずです.たとえば,日時や場所の選定,機材準備(動画配信を念頭に置いた撮影,そして編集も),敷地の責任者への事前説明が思い浮かびます.天候が悪かったときどうするかというのも,考えてあったことでしょう.
原発の是非や,human ERRORが心をつかむかといったことよりも前に,その「実体」を目の当たりにするので終わらず,「目に見えないこと」を想起する…どうやら自分にはその行動様式が当たり前のものとなっていて,内容,メッセージについて冷めた見方をしてしまいました.
その話はいったん置いて…やや古いけれど教育に関する名著を知り,読み終えました.

「学び」の構造

「学び」の構造

Amazonでは出版年が2000年となっていますが,手元の本は「昭和五十年二月二十日 初版発行」「平成七年八月五日 十八版発行」です.奥書の一つ前,著者紹介のページには,昭和50年以降の著書も並ぶものの,はしがきは「昭和四十九年十二月」とあります.著者の名前は,「4×8=32となるようなお話をつくってください」による,小学生の乗法意味理解の調査で知りました*1
その終わりのところに,原発原子力工場,nuclear power plant)への言及があります.

 滞米中わたしの研究指導にあたってくれた教授も、数年前には「貧困の心理学」を大学の講座に設置して、そこで貧困者層の様々な生活様式、価値観、子供の育て方、などを徹底的に研究していた。現在も恐らくその講座は進められているだろうが、最近では人口問題の心理学的研究にも従事しており、また、原子力工場の設置問題―住民に与える心理学的側面や、最も適した設置場所の選定評価問題――(もともと彼の専門が人間の意思決定を研究する事であったが)などにも関与している。
(p.202)

原発設置を前提として,どこに置けばよいかに関わった,とのこと.肯定的に取り上げています.
なお,スリーマイル島原子力発電所の事故が起こったのは,1979年(昭和49年!)3月28日です.かつてリスク認知で書きましたが,スリーマイル島チェルノブイリの事故のあとの調査でも,原子力専門家は相対的に原子力発電のリスクを低く評価しています.日本の専門家も同様に,いま,風当たりは強いけれども,冷静に対処し,苦難を乗り越えて,原子力を安全・平和に活用していく道を現在,探っているところではないかと,想像します.
本の結語で,不信にどう立ち向かうべきかが記されています*2

 現代は、科学や技術に対する不信の時代である。「勉強して何になる」、「学んで何の役に立つ」、「科学は人間を不幸にしたではないか」、「技術は人々を阻害し、公害を生んだではないか」、「よく勉強した人々は“出世”して、結局は他の人々を支配し苦しめたにすぎないではないのか」……。
 それにもかかわらず、わたしはあえていう。これらを克服していく道は、わたしたち自身がまず「学ぶ」こと以外にない、と。
 科学が人々を不幸にしているならば、科学のなかから、それをなおす以外にない。
 技術が人々を阻害し公害を生んでいるなら、技術のなかから、それを直す以外にない。
 企業が人々を欲望にかり立て破滅にみちびくというのなら、企業のなかからそれをあらためていく以外にない。
 政治が人々を支配し、人々の苦しみに目をそむけているならば、政治のなかからそれを変革する以外にない。
 すべての人が「評論家」になる必要はない。ひとりひとりの立場、役割りのなかから、あるべき姿をさぐり、あるべき世界を問い、そして学ぶことからはじめるべきである。
(p.206)

表現は違えど,human ERRORの語りかけと,同じことを言っているように見えます.つづいて:

 しかし、もしどうしても、ほんとうにどうしても、あなたの「学び」が妨げられ、あなたの「学び」がおしつぶされ、あるべき世界を人々が無視し、理解しないならば、
そのときこそ
怒りをこめて振りかえれ。
(p.207)

これでやっと気づきました.私は,原発・エネルギー問題にも,かけ算の順序論争にも,「怒りをこめて振りかえる」というアクションの取り方を,避けてきたのです.
震災や原発の話題にせよ,[5×3]カテゴリーのエントリにせよ,自分なりに,多くの人に届くよう企画し,情報を取り寄せて整理を試みてきたわけですが,そのプロセスで「怒り」を取り除くよう,努めてきました.
はじめのところでリンクしたとおり,フライングダッチマンのボーカル・Lee Tabasco氏は,「怒りをこめて」---怒りがすべてではない点に注意---,作り,レコーディングやゲリラライブをしながら,語ってきたわけですね.

*1:関連:『教育評価 (岩波テキストブックス)』p.167,『子どものつまずきと授業づくり―わかる算数をめざして (子どもと教育)』p.29.弱い関連:さんすうの授業 第1階梯 小学校1・2・3年生

*2:自分にとって,「どのように生きていくことになるのか」で思い浮かぶのは,THE YELLOW MONKEYのJAMです.地震・原発・デマ・津波で書きました.