わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

何だろうこの窮屈さ

速さだの割合だの,数と計算だの数量関係だの,といった情報交換の中で,「窮屈さ」という言葉は,自分には思い浮かびませんでした.1年前に,読んだ文章の中で"luckier"という単語を目にして驚き,記事を書いたのですが,それ以来です.
私自身が「窮屈さ」を感じてないのは,窮屈にせよ違和感にせよ,算数の議論で何か引っかかるものがあったら,次の問題意識に立ち返るようにしているからです.

  • 「小学校の算数を通じて,児童が解けるようになってほしい問題は何か」

かけ算であれば,「小学校の算数を通じて,児童が解けるようになってほしいかけ算の問題は何か」です*1.かけ算のところを,割合にも,速さにも,置き換えることができます.「小学校の算数」を,特定の学年あるいは単元に制限することも可能です.
大学の教育にも,転用できます*2.現在担当している講義なら「この科目を通じて,受講生が理解できるようになってほしいプログラムはどんなものか」になります.学生室に入ったら,「研究室活動を通じて,学生は何を身につけて大学から離れてほしいか」を思い浮かべながら,個々の課題に対してアドバイスしています.
子どもを持つ親が教育を語るとなると,我が子の行く末を思案しない人はいないでしょう.https://twitter.com/tsatie/status/410032241473896449も読みました.
自分はというと,ツイートよりもブログです.苗箱子ども手当さんかけさん24分の1発見,創造,修正を繰り返す人間が関連します.


冒頭のツイートを,単語に注目して見ておくと,「何だろう」という,不確かさを連想する表記から始まるのですが,途中には「当然」「明確にしなくてはいけない」「明らかに」など,ご本人の内面に持っている(字数の都合で書かない)ものをうかがわせる表現が出てきます.潜在的なヘルプメッセージを感じ取りましたが,解決のための方策は,あいにく持ち合わせていません.
その一方で,一連のツイートを見直したところ,カギカッコつきの「割合」とそうでないときの割合との違い,より具体的には,「『割合』の用語を小学校のどこで学習するか」と「割合の概念をどのようにして子どもたちに身につけさせればよいか」には違いがあることについて,[twitter:@tamami_tata]さんと私とで,緩やかな同意は取れていると想像しています.
ですが単元と領域の対応づけや,身につけさせるためのhowについては,スタンスが異なっています.「要注意です!」を再度,書いておくことにします.

*1:「与えられた問題しか解けないのか」という批判に対して,先回りしておくと,問題を作ること(作問)が,「児童が解けるようになってほしい問題」に含まれます.

*2:何度か書いていることですが話は逆で,大学の授業や学生指導,研究や雑多なことを通じて得たノウハウを,ブログで文字にしているというのが実態です.