わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

+3 −3 ×3 ÷3

本日は文献巡りをします.文献は,これまで当ブログで見てきたものばかりです.長文が好きでない方は,の画像だけでもご覧ください.


さっそくですが問題です.

「子どもが4人遊んでいました。そこにあらたに子どもが3人やってきました。子どもは何人になりましたか?」

もちろん答えは,7人です.ここで考えたいのは,7人を得るための式です.
4+3=7でいいじゃないか? ええ,いいのですが,もし3+4=7と書いたらどうだろうか,と考えてみます.
ところで問題文にカギカッコをつけたのは,これはある本の引用だったからです.

「子どもが4人遊んでいました。そこにあらたに子どもが3人やってきました。子どもは何人になりましたか?」
前の合併型がもっぱら空間的で同時存在しているものを対象としているのに対して,この増加型は時間的構造をもっているという点がはっきり違う。前の場合には,加えられる項4と3はほぼ対等であって,加法を
4+3=3+4
のいずれで表記しても,意味上そう違いはなかったが,この増加の場合には,被加数の4と加数の3とはまったく質が異なっている。4ははじめに存在しているいわば土台であり,3はあとからつけ加える増加分にすぎない。だから,意味の上からは確かに
4+3≠3+4
であって厳密には交換法則は成り立たない。この両辺の《値》が等しくなるのは,ただの結果としてにすぎない。
(『数の科学―水道方式の基礎 (1975年) (教育文庫〈7〉)』p.62)

時間の流れによるたし算を「増加型」と呼び,「合併型」と区別しています.そして4+3≠3+4と表せる点が,増加型の特徴となっています.もちろん,数学的に証明された式と解釈するのではなく,「4人プラス3人」と「3人プラス4人」とを区別するための,読者の目をひくための表記とみるべきでしょう.
さて,時間の流れによるたし算で,「4+3」と「3+4」との間に違いあるか,ないかというと,朝三暮四の故事を連想します.辞書では「目先の違いにとらわれて、結局は同じ結果であることを理解しないこと」(朝三暮四(ちょうさんぼし)の意味・使い方 - 四字熟語一覧 - goo辞書)とあります.「4+3」と「3+4」は同じじゃないか,と言いたくもなります.
「目先の違い」を掘り下げて,猿と飼主の行動・心情を取り入れた文章を書いたのは,数学者の高木貞治です.以下の引用でO・N・Kは話者を表し,鼎談の形をとっています.

O. 3ニ4足スと言えば朝三暮四を思い出すね.
N. 何です,それは.
O. 有名な諺じゃないか.かいつまんで言えばね,猿に飼主が栗か何かやるのに,まず朝は三つ,その代わり晩には四つとしたところが,猿が不平だったので,それでは朝四つ,晩三つにしよう.――そうしたら猿が満足したというのだ.交換律を知らない猿の無智を嘲るわけさね.
K. それはおかしいな.飼主は現状維持を仮定しているから,交換律で満足だろうが,猿の立場は全く反対だ.彼等はむしろひそかに現状打破を希望しているかも知れない.朝にして夕を測るべからずとするならば,朝四暮三は当然だ.もしも猿が飼主を引っ掻くとしたら,どうだね.その時には飼主先生,朝三暮四と朝四暮三との差別を痛感するだろう.猿は利巧だから,不実用的なところへの交換律を応用しないのだ.
O. 飼主も利巧だから,彼の立場に於て実用的なところへ交換律を応用したのだ.――要するに,応用は応用,実用は実用で,応用・実用と一口には言えないようだね.
(『数学の自由性 (ちくま学芸文庫)』p.76)

「心情」は,「飼主が,朝三暮四と朝四暮三の違い(4+3≠3+4)を認識する」のに加えて,「飼主が,猿が朝三暮四と朝四暮三の違い(4+3≠3+4)を認識していることを,認識する」と展開することができます.「を認識する」を「と信じる」に置き換えて,信念論理を使って形式化することもできます.
参照したのは,ちくま学芸文庫として「二〇一〇年三月十日 第一刷発行」で刊行された本ですが,上の引用を含む「VIII 応用と実用」の末尾に「(1940.8.31)」の日付が入っています.
ちくま学芸文庫の他の本を見ていきます.森毅の『数の現象学 (ちくま学芸文庫)』にも,たし算について書かれています.「順序数的加法」あるいは「時間的な継起」においては,交換法則(a+b=b+a)は自明でない(pp.24-26)ほか,被加数と加数を区別した式として「A+b=C」(p.54)を挙げています.A+b=Cと同じ意図となる言葉の式に,「時刻+時間=時刻」(p.54),「位置+変化=位置」(p.56)が入っています.またA+b=Cに添えて「C−b=A」(p.59)を記しています.ここで,Aは数直線上の点に対応づけられます.点ではなく,Aが原点Oからどれだけ離れたかをaと書き,Cに対しても同様にcを定めると,a+b=cやb=c−aの式が得られ,これを「通常の加法」「通常の減法」としています.

ここで,2008年の『小学校学習指導要領解説 算数編』の記述と照合しておきます.「はじめにリンゴが幾つかあって,その中から5個食べたら7個残った。はじめに幾つあったか」に対して式は7+5のみを挙げ,「残った7個に取った5個を返す(たす)と7+5という式になる」という説明例も記載していますが,上述のA+b=C,C−b=Aという等式に,A=7,b=5,C=12を当てはめればいいのです.注意したいのは,この当てはめが,リンゴの問題に5+7=12という式を書いても正解となるかどうかについては何も言っていないところです.正解と判定している(と読める)学力調査もあります.

『数の現象学』では,「日本式」「ヨーロッパ式」とラベリングをしながら,かけ算の式の順序を比較する記述もあります.なお,かけ算の順序論争としては,この段落の前後のほうがよく参照されています.

じつは,少しも「掛け算の意味」を教えていなかったところが学校側の問題なのだが ,親の側もいくらかヘンなところはある.この,4×6とか6×4とかいった順序は,日本とヨーロッパでは違う.日本は「4の6倍」式に4×6と書くが,ヨーロッパでは「6倍の4」式に6×4と書く.これは左側通行か右側通行かみたいなもので,言語習慣から来ている.ただし,日本式の方が合理的というのが世界の相場だが,一方ではヨーロッパ式の方がすでに流通してしまっている.まあ,これはヤクソクには違いない.足すを+と書き,掛けるを×と書くようなのもヤクソクで,これを勝手に変えたら混乱してしまう.
(『数の現象学 (ちくま学芸文庫)』p.67)

「日本式の方が合理的」には根拠が明示されていませんが,他の文献でその状況証拠といえるものがあります.アメリカでも「日本式」を採用することがあるというのです.

4) 4×2は,英語ではfour times twoまたはfour twosなどという関係で,乗数と被乗数がわが国の場合と反対になっている.
9) (略)なお,註4)で,アメリカでは,乗数を先にかくとのべたが,最近では,わが国の場合のように,乗数をあとにかく方法(乗数をoperatorとしてみる場合に統一的にでき便利である)をかなり取り入れるくふうがされている.この場合,3×4は3 multiplied by 4などと呼んでいる.
中島健三: 乗法の意味についての論争と問題点についての考察. http://ci.nii.ac.jp/naid/110003849391 p.77)

中島の文献は1968年に刊行されました.森の文章は,巻末情報によると1977年が初出とのことです.
「統一的」のところは,次のように図で表すことができます.

「○+3=△ と △−3=○」そして「○×3=△ と △÷3=○」と見比べたとき,かけ算だけをヨーロッパ式の「3×○=△」と書くのは確かに不自然です.
「3×○=△」と書くのなら,「3÷○=△」と書いてよいのかというのが,気になります.算数・数学の式としてはおかしい(3×○=△と3÷○=△は同値ではない)ですが,アドホックな説明として使えるかどうかを,考えてみます.
考えるよりも,事例を挙げましょう.学校の先生の説明で,「6÷」と書いたものを,YouTubeから見ることができます.


動画では,赤ペンで「÷」と書いてから,その左に「6」としています.右から左への矢印がある中の表記ですので,「6わる」ではなく「わる6」を表しています.


これまでに書いたこと: