わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

かけ算の順序は,ネットde真実(2014.05)

それでツイートを見ていくと,ネットde真実な人を見かけました.[twitter:@infobloga]さんです.

「21÷7」ほかの件冒頭の問題そのものは「これは教師が正しいと思います」ですが,前振りはけんか腰です.その後,「ネットde真実」ならではのツイートが見られます.

もっとも分かりやすい単語は,「ローカルルール」でしょうか.かけ算の出題で,出現する数をひっくり返してかけ算の式にする(そのまま書いて,かけたら間違い)というのは日本限定ではなく,昨年11月に台湾で報道されています*1.韓国語で書かれた,ベルギーの学校での出題例も興味深いです*2.英語の書籍だと,「a×bとb×a(例えば,5×6と6×5)が同じでないような,日常生活の例を挙げなさい.」といった練習問題*3がありますし,「4個×15セントによって60セントが得られ60個ではないのはなぜか」という問題意識や,「あるロケットは1秒間に16マイルのスピードで進む.0.85秒ではどれだけ進むか?」に対して子どもたちはわり算の式(16÷0.85)にしがちである*4といった指摘*5について,数学者や科学者が,あるいはかけ算の交換法則が,どのような解決案を示しているのか,教えてもらいたいものです.
このうちロケットの問題からは,算数・数学教育と数学との違いを確認することができます.16×0.85で表せばよいことを,定義や性質など,道具立てを明確にしながら(書かない場合には,読者には周知の事項を使って)補題や定理そして系に至るような筋道を構築するのが,数学的なアプローチとなります*6.それに対し,算数教育では「子どもたち」という集団を念頭に置いて,授業やテストがなされます*7.かけ算・わり算の文章題では,ある種の問題*8の正答率が低いことを実証し,またその知見を授業などに反映させようとなっていきます.
あるいはこういう対比ができます.数学は,誰かが正解に到達できればよく,そこに至るまでの失敗は,ほとんど注目されません.それに対して,算数は,子どもたちがそれぞれ答えを出すことを前提とし,間違いだからこそ注目され,そこから学べる事例が,授業にも学力調査にも現れています.
かけ算の順序論争において「数学者」を持ち出すのに,違和感がある理由を書き出してみると,こんなに長くなってしまいました.
なお,数学と数学教育との関係を知りたい方向けには,日本語ならhttp://hdl.handle.net/2433/140889,英語ならhttps://www.ceismc.gatech.edu/sites/default/files/hyman_bass_mathematicsmathematiciansmathed.pdfが取っかかりになると思います.@infoblogaさんの土俵に乗って,「数学者で擁護する人」がいるのかというと,遠山啓・銀林浩が思い浮かびます.遠山の著作から,擁護を読み取るのは自明ではないので,http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20131021/1382305370http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20140126/1390737504にリンクしておきます.

(最終更新:2014-05-19 朝)

*1:http://www.chinatimes.com/realtimenews/20131116002929-260413, http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20131229/1388265996

*2:http://cafe.daum.net/seaugjang/9MER/23?docid=1IFsc9MER2320090705125934, http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20131007/1381093191

*3:http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20130615/1371274369

*4:「あるロケットは1秒間に0.85マイルのスピードで進む.16秒ではどれだけ進むか?」だとかけ算に書くことの対比から,乗数効果へとつながっていきます.

*5:http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20131116/1384560000#3.2

*6:今はもう遠のいていますが,そのスタイルで原稿を書き,学会発表をしたこともあります.

*7:1名あるいは少人数の児童を対象とした理解度の調査であっても,同様の条件の子どもたちに適用されるかの意識は不可欠です.

*8:ロケットの件は,「かける数が1より小さい数になるような場面」と言い換えられます.