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乗法の交換法則,操作的証明と形式的証明

いきなりですが問題です.自然数の乗法の交換法則に関して,以下の証明は正しいですか.

集合Aがm個の元をもち,集合Bがn個の元をもつとき,A×Bはm×n個の元をもち,B×Aはn×m個の元をもつ。変数を(a,b)→(b,a)と交換することによって,A×BからB×Aへの全単射がもたらされる。よってm×n=n×mである。

といったところで元ネタです.

算数・数学教育における証明指導の改善

算数・数学教育における証明指導の改善

この本は著者の博士論文*1を,タイトルを変更して書籍化したものです.本記事では以下,単に「小松」と書くことで,この書籍を指すものとします.
上に引用した証明はp.22にあります.引用の直後に「(Semadeni, 1984, p. 33)」がついています.Semadeni (1984)は,第1章第1節第2項で中心となっている文献です.関連文献へのリンクを,先に挙げておきます.

小松では,Semadeniおよびもう一人の研究者による文献をもとにして,Semadeniの"Action Proof(s)"に「操作的証明」という訳語を割り当てています.従来の,例えば中学の図形の証明問題などでなされる「証明」や,冒頭の引用のような「形式的な証明」と,操作的証明との違いや関連性について,書籍から引用します.

モーリーもセマデニも操作的証明の概念それ自体は明確に規定していないものの,二人の間で,操作的証明に対する考え方について少なくとも次の二つの類似点が見られる。第一は,操作的証明において具体物や図を用いた行為は,ある個別の場合だけでなく,事柄の条件を満たす場合に共通に適用することができなければならないと考えていることである。第二は,ある個別の場合について経験的に確かめただけで事柄が一般に成り立つことを帰納的に主張する方法から,操作的証明を明示的に区別していることである。(略)
もちろん,モーリーやセマデニの以前から,このように事柄が成り立つことを具体物や図を用いて証明する方法は存在し,その歴史は少なくとも古代ギリシアから見られる(略)。そして,学校数学でもそのような証明は古くから行われてきたであろうことは容易に想像される。モーリーやセマデニはそのような証明を操作的証明と名付け,子どもの発達に応じた証明の学習を,小学校段階から実現することを意図したのである。
(p.23)

「具体物や図を用いた行為」に関して,Semadeni (1983)では3行5列の丸印で構成されたアレイについて,切り方を変えれば3×5にも5×3にもなることを,図を載せて説明し,小松p.21にもあります.アレイ図で載せたいくつかの図と,同型になっています.なおモーリーに関しては,奇数どうしを足すと偶数になることや,直方体を用いて乗法の結合法則が成り立つことを例示しています.
ここまで書いたところで,冒頭の問題を考えることにします.
引っかかったのは,「集合Aがm個の元をもち,集合Bがn個の元をもつとき,A×Bはm×n個の元をも(つ)」のところです.
まず記号について,A×Bは直積(デカルト積),m×nは自然数の乗法であり,そこで「×」の対象や意味が異なっています.ですがこの違いは,類書もあるし,自分でも区別せずに書いてきたし,強い違和感とはなっていません.
ですがやはり,「集合Aがm個の元をもち,集合Bがn個の元をもつとき,A×Bはm×n個の元をもつ」を目にしたとき,これを読んだ我々の方で,確かにそれが成り立つのか,直積を乗法の交換法則の根拠に採用してよいのか,検討しておきたいところです.
といっても,成り立たないよ,持ち出してはいけないよと,反例やおかしな例を探そうというわけではありません.
他の(不適切な)例と対比して,直積を持ち出したことへの違和感の一つを書いておきます.以下の図形において,丸の数を求める式を「3*5」と表すことにします.3*5=12です.言葉にすると,m*xは,縦m個,横n個からなる長方形の外周の配置の個数と言えます.

○○○○○
○   ○
○○○○○

これについて,縦を横にするなり,「変数を(a,b)→(b,a)と交換」するなりすれば,3*5=5*3やm*n=n*m,すなわち交換法則が成立します.
この例が不適切であり,Semadeniの証明に置き換えられないのは,もちろん,3*5≠3×5だから,そして*は(自然数を対象とした)乗法とは異なるからです.形式化しておくと,m*x=m×nとなるのは,m,nの少なくとも一方が2以下のときのみです.加えて,m*(n+p)=m*n+m*pすなわち分配法則が一般に成り立ちません.
話を戻して,Semadeniが"some formal mathematical proof"として記述し,小松で訳された「集合Aがm個の元をもち,集合Bがn個の元をもつとき,A×Bはm×n個の元をも(つ)」について,これが成り立つことを,著者と読者の間で同意しておく必要があります.その「成り立つこと」の確認や同意の中に,自然数における乗法の性質としての,分配法則,結合法則そして交換法則まで含まれているとするなら,「そうやってm×nを持ってくるののは,循環論法じゃないのか」ともなってきます.
といった次第で,「正しいですか」の問題に対しては「正しそうだ」といったん答えを出し,「完全に正しい,とは言えないのですか」と問われたら,「文中に『m×n個』と持ち出した時点で,そこに乗法の交換法則が含まれているように見える」と言いたいところです.
あとは数学ではなく文献の話です.1980年代の算数・数学教育の論文に,アレイ図とか直積とかを持ち出しているのは,ここまで書いてきたのとまた別の違和感がありました.
これはSemadeni (1984)の最初の段落に,ヒントがありました.この論文の最初の原稿は,1973年に出版されたというのです.
そのころであれば,数学教育の現代化運動も多かれ少なかれ,影響してそうだなと思えてきます.実際,小松にも,第1章第1節第1項で何度か「数学教育現代化」という言葉が出現します.
1960-70年代の算数・数学教育の論文や著書を読む際には,国内外問わず,現代化の影響下で,研究なり実践なりが行われていた点には,注意をしたいところです.

(最終更新:2014-05-22 晩.小泉→小松)

*1:きちんと書くなら,博士学位請求論文,短くするならD論です.

*2:博士論文そのものではなく「紹介」です.