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生きづらさを描く質的研究

エピソード教育臨床:生きづらさを描く質的研究

エピソード教育臨床:生きづらさを描く質的研究

本のサブタイトル,そして当記事のタイトルについては,プロローグから:

本書では、こうしたかけがえのないそのひと固有の“生きづらさ”に、光をあてたいと考えています。そのために、〈質的研究〉という手法をとっています。質的研究と対比される〈量的研究〉では、客観的な数値とその分析によって、社会一般の現象を捉えることがめざされます。他方、質的研究では、〈一般〉としてまとめることによってこぼれ落ちてしまうできごとの一つひとつを、読みとこうとします。そうすることで、できごとの実態や一人ひとりの固有の思いに即した、こまやかな理解が可能になる、と考えているからです。
(p.ii)

自分自身や,研究室で学生が従事している研究は,どちらかというと量的研究です.新規性を明確にしてシステムを開発し,適当な方法・数量のもとで評価を行っています.
質的研究であると明示して論文などを書いた記憶はありませんが,質的研究について,私は主に2つの認識を持っています.一つは,量的研究が研究方法のすべてではないこと,もう一つは,学生指導では質的アプローチがより適していそうだということです.なので,それなりに関心を持ってこれまで,本や事例を読むようにしてきました.
さて,同書は6つの章で構成されます.各章は2〜4の節があり,節ごとに異なるエピソードと,執筆者の読み解きが記されています.エピソードでは,執筆者が離れたところから観察しているだけでなく,被観察者から声をかけられて反応したり,積極的に行動をとっているところも数多く見られます*1.また第6章は執筆者イコール当事者で,「生きづらさ」の語りが文字になっています.章ごとに執筆者が異なっており,また章末には網掛けで,章の執筆者とまた別の編著者が,コメントをつけています.

最も関心をもって読んだのは,第二章(川﨑徳子:幼児期の子どもの姿から読み解く生きづらさ)です.3つの節はそれぞれ,3歳児・4歳児・5歳児で,5歳児を筆頭とする我が子の出来事と重なります.当人らが直接,「生きづらい」と言うことはないにしても,自宅内外の人間関係での苦労を知る機会は多く,彼女らなりに乗り越えたり回避したりしてきています.第二章の各エピソードと執筆者の読み解きは,ときに共感,ときに「なるほど」の記述として,読むことができました.

一つ,書き出しておきましょう.

子どもにとって、遊び始めるきっかけはいろいろである。これをして遊ぼうというふうに自分の気もちがしたいことに向いて動いていったとき、その遊びも能動的に展開していく。陽*2を待ちながら過ごしている時間は、真と陸の二人だけで遊び始めるまでに必要な時間にもなっていった。この時間のあいだには、気になる友だちが同じ場で一緒に遊んでいなくても、友だちという意識が続いていることや、自分にとっての友だちという存在の意味を四歳児なりに感じたり考えたりして過ごしていることがうかがえた。
(pp.48-49)

書き出してみて,自分がなぜ,質的研究・質的アプローチに興味あるいは好意を持っているのか,また別の理由が見えてきました.そこに,東洋の自然観としてよく言われる「共存」を発見できるからなのでした.相対するのは,西洋の自然観である「征服」です.
自分の研究では,単年度あるいは数年間の活動を考えながら,テーマを設定し,良い題材を見つけ,学生とともに取り組んでいますが,そこでの問題の解決は,「征服」に近いところがあります.
征服すれば研究はおっけー,ではないよ,という事実を,研究者にとっての「生きづらさ」ではなく「新たな知見」として,今後に活用していきたいところです.


ここで算数の話を.『エピソード教育臨床』の第一章第一節に出てくるエピソードは,小学5年生の算数です.先生が板書に書く問題は「①6メートルのリボンから0.4メートルずつ、②6.3メートルのリボンから0.9メートルずつ、③8メートルのリボンから0.5メートルずつ切ると、それぞれ何本のリボンができるでしょう」(p.6)で,このエピソードの主たる被観察者・高橋さんは,書き写したまではいいけれど,小数のわり算の求め方が分からず,周りの児童にちょっかいを出すという展開になっています.*3
それと,これまで当日記でいくつか「質的研究」と見なすことのできる文献を紹介してきました.改めて,リンクすることにします.

*1:被観察者の居場所---学校など---に,執筆者が定期・不定期に行っているとのことです.

*2:陽(よう)は,真(まこと),陸(りく)とともに人名で,4歳児です.この章に出てくる子どもたちはみな漢字1文字です.もちろんいずれも仮名と見るべきでしょう.

*3:先生はその後,6.3を0.9で割って得られる答え7が,6.3より「大きくなった」とクラスの子らに言わせることで,商が被除数よりも大きくなることが,「1より小さい数で割るときのわり算の特徴」と言っていますが,このくだりは好きになれませんでした.量として被除数と商をみたとき,6.3mと7本となるわけで,それらを比較するのはナンセンスだからです.数どうしの演算の性質だ,と考えればまあいいし,授業もそのことを共有していたと読めるのですが.