わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

情報が多いほど,手がかりを与える

暗号解読

「単一換字暗号の解読を通じて,分かることがあります.それは,『暗号文が長いほど,解読の手がかりを与える』ということです.
1文字の暗号文を解読するのは,実のところ困難です.じゃあ1000字になると,難しさが1000倍になるかというとそうではなく,むしろ易しくなります.というのは,出現している文字やその並び---『前後関係』や『文脈』ともいいますが---から,ここはこれだろうと推測しやすくなるからです.
暗号の解読に限らず,『情報が多いほど,理解の手がかりを与える』は大事な経験則だと思います.これは例えば,授業や語学で,未知語を理解するときに役立ちます.定義だけ,単語だけではさっぱり分からない,というときは,その未知語がどこで使われるかをチェックするのです.いくつかの使用例を通じて,その未知語がどういうものなのかが,見えてきやすくなります.
仕事に就いたときに,同じ部署の顔と名前を覚えるのにも,活用しましょう.目を見て挨拶し,相手を名前で呼ぶことは,人間関係をスムーズにするだけでなく,自分自身にもメリットがあるのです.
また別の応用例として,一つの情報だけで物事を判断しないよう,行動したいものです.同種の情報を集め,比較して,目にした『情報』の真贋や価値を判断する習慣をつけましょう.」

上記は,毎年ゴールデンウィーク前後に行っている授業のスライドをもとにした,学生へのメッセージです.2007年4月23日〜27日でも文字にしています.

かけ算の順序論争でコメント

本文のうち,「合ってればラッキーです」からその段落の終わりまでは,実利的というか現実的な対応というか,子ども(学習者)目線のスタンスだなあと感じ入りました.
それはさておき,記事にはコメントが30近くついています.#掛算でよく見かける名前の人と重なります.
そういったコメントを,ブログ主ではなく,コメントをさらにつけようと思うわけでもない自分が,どう認識すればいいのかと,少々戸惑いながら読んでいったところ,ブログ主の開智塾長さんによる

ただ単に「かけ算の順序」などで検索し、出てくるところ出てくるところに議論をふっかけている暇をもてあました神々の遊びでしたら、内輪でやってください。神々の戦いに参戦するのは、僕のような凡人には荷が重すぎます。

には,へえ,そういう対応があるのかと,びっくりしました.
推測ですが,開智塾長さんは,コメントの人物名(もしかしたら発言の断片やリンクされているURLなども)をもとに検索し,ついたコメントの意図や,これまでの状況を把握した上で,応対のしかたを変えていったように見えます.
1個なら,その意図を伺い知るのが困難であっても,やりとりをいくらか重ねながら,外部の情報と照らし合わせることで,発言の意図が見えてくるというシーンに,出くわしたように思っています.
ここで自分を振り返ります.自分がこれまでしてきた,「かけ算の順序」関連のコメントも,その種の「裏取り」がなされていく(いた?)可能性があります.
ブログ記事やツイートと異なり,他のところにつけたコメントは削除が必ずしも容易でない点には注意し,ブログ主さんや読者にとって,また自分自身のためにもなるような,的確なコメントをつけていくようにしていきますか.


関連:

日曜日の午前中,一人,汗をかきながら受付にやって来たのですが,これまた雰囲気から,学会参加が目的には見えません.
とある建物に入れなくて,さまよっていると,ここの建物だけドアが開いているのに気づき,入ってきたとのこと.
「お暑かったでしょう,少し休んでください」とねぎらい,そこそこ話を聞きましたが,適当なところで「ここは学会の受付です.普段の土日はここも閉まっており,本日は学会参加者しか入れないことになっております.お引き取りください」と言ったところ,しぶしぶ承知してくれました.

あんなこんな