わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

形式的,形成的

現在の文科省はかけ算の順序強制を教育現場に指導していない。しかし、昭和26年(1951)改訂の小学校学習指導要領算数科編(試案)のⅣ第1部7(3)「計算などについて,理解を持たせる」には次のように書いてあった。

「一冊5円のノートを,6冊買ったら,いくら支払えばよいでしょう。」という問題を解くときには,「5円×6」として,その結果を求めるのが普通である。ところが,この問題を,「ノートを6冊買いました。どれも1冊5円でした。ぜんぶでいくら支払ったらよいでしょう。」とすると,「6×5=30(円)」として結果を求めるこどもがでてくるであろう。
こどもが,このような誤った解決をするのは,かけ算の意味をひととおり理解しているにしても,その理解が形式的になっていることを示しているといえる。

これは60年以上前の指導要領の「試案」に過ぎない。しかし、現代のかけ算順序強制もこの「試案」とほぼ同様の構造を持っている。
黒木2014, p.113)

小さなツッコミから.学習指導要領の改訂や教科書検定といった,言わば「上からの関与」の仕組みと,教科書の編集*1もさることながら独自に教材を作成して実践(授業で使用したり,Webなどで公表したり)するような,「教師の行動」の両面を意識していれば,「現在の文科省はかけ算の順序強制を教育現場に指導していない」の文は現状認識に乏しく,「かけ算の順序強制」は,実体の伴わないバブルのようなものに思えてきてなりません.
それと,黒木2014のp.113右で,一つの段落に3回,「普通である」*2が出現します(世間一般ではで引用しています).最初に読んだとき,えらい語彙が貧困やなあと不思議に思ったのですが,上のとおり,昭和26年の試案の中にも「普通である」が入っていたことに気づきました.まあそれでも,普通である「普通」である普通であるの連呼よりも,世の中はああなっているこうなっている,なぜだろうか,学校教育で教わってきたことと異なるのなら,どのように整合性をとればいいのだろうか,という視点を持つようにしたいところです.
それはそれとして,上記引用の中の引用(内側の箱囲み)の仕方が気になりました.
Webでよく見かける記述ですので,少し探せば,いくつか見つかりました.オリジナルほか重要そうなところにリンクしておきます.

そうして確認できるのですが,「その理解が形式的になっていることを示しているといえる。 」には続きがあり,黒木2014ではそれが引用されていません.続きとは,次の文章です.

問題が,どんな形式で出されようとも また,いくつかの条件がどんな順序で書いてあろうとも,かけ算を式で示すとすれば,(グループの大きさ)×(グループの個数)=(量全体の大きさ)であることが,こどもにじゅうぶん理解されておらなければならない。この一般化がふじゅうぶんなために,6×5=30(円)というような式を書くのである。
とにかく,形式的な練習に移るにさきだって,技能などについての理解をじゅうぶんに伸ばすことを忘れたのでは,反復練習したものを有効に用いることができないであろう。

言葉として,この中に「順序」が出現しています.ただしこれは,問題文における,数量の出現に関するものであり,式における順序ではありません*4
「かけ算を式で示すとすれば,(グループの大きさ)×(グループの個数)=(量全体の大きさ)であること」に「順序」という言葉を対応づけるのが,妥当なのか,それとも教育の経緯や現状を見据えてない低俗なレッテル貼りとなるのかも,少々気にはなりますが,ここが引用されなかったことを踏まえ,別の視点で検討していきます.
ふたたび,「その理解が形式的になっていることを示しているといえる。」で引用が終わっているところに着目します.現在にも通じるこの件の教訓は,「かけ算は九九だけじゃないよ.『一つ分の数×いくつ分=ぜんぶの数』という意味もきちんと理解してね」となります.
しかし,続きとして引用したのを含む「計算などについて,理解を持たせる」の項目では,「(グループの大きさ)×(グループの個数)=(量全体の大きさ)」を理解をするための具体的な指導方法が述べられていません*5
指導は,同じ試案の別のページに,記されています.

三年の乗法九々の学習で,三の段がひととおりすんで,こどもたちは三の段の九々がすらすら唱えられるようになった。そこで,教師は次のようなテストを行って,こどもがかけ算の意味を理解して,九々を適用する力が伸びたかどうかを調べてみた。

問題 3人のこどもに,えんぴつを2本ずつあげようと思います。えんぴつがなん本いるでしょう。どんな九々をつかえばわかりますか。

どんな九々をつかうかという問に対して,3×2=6と答えたものが予想以上に多いことがわかった。これによってこどもは問題に出てくる数を,その数の意味を深く考えもしないで,出てくる順に書き並べ,その間に,かけ算記号を書き入れることがわかった。問題に出てくる数を頭の中にいったん収めて,演算の決定に導くように問題の場を組織だてる力が欠けているらしいことがわかった。そこで,その欠けていることについての再指導に入るわけである。
3は人数を表わしている数である。それを2倍した答の6は何といったらよいか尋ねてみる。それで,6人となって問題の要求に合わないことを説明する。このようにして3×2=6とするのが誤であることを明らかにしたとする。
しかし,上のような指導だけでは,問題をすこし変えてテストしてみると,ほとんど進歩しないことがはっきりわかってきた。つまり,一方を否定するような消極的な指導だけでは,前に述べたような問題を組織だてる力を伸ばすのに,ほとんど役だたないことがわかった。これが再指導に対しての評価であって,指導の方法を修正する必要をつかんだわけである。そこで;問題解決を,同数累加の形にもどして,倍の概念をしっかり押えるように指導したのである。今度は成功した。この事実を教師が見届けたのもやはり評価である。

V. 算数についての評価

ここで,同数累加がかけ算の本質であると主張したいわけではありません.なお,現在の学習指導要領解説算数編にも,乗法の意味としての累加が書かれているのと,主に数学教育協議会の働きかけにより,累加の意味が薄まっている点には,注意をしたいところです.
上の引用は,現在の知見に照らすと,「形成的評価」あるいは「形成的指導」を行っています.実際,「しかし,上のような指導だけでは」から始まる段落は,「教授・学習活動の中間的成果を把握してフィードバックし,教授・学習活動の軌道修正を行う」(『教育評価 第2版補訂2版 (有斐閣双書)』p.19)に一致します*6
ナントカ評価については,今回,次のことをご理解ください.
テストの点数よりも,どこでつまずいたかを把握しておくことを,先生方も,また子どもの成長を見届ける保護者の方々*7も,より重視している世の中です*8.教育評価の研究や解説書などを通じて,そこでいうテストの点数は「総括的評価」,つまずきの把握や解消は「形成的評価」と呼ばれ,区別されるようになってきました*9
そして黒木特別寄稿である「かけ算の順序強制問題」では,形成的評価を含む教育評価の視点が,完全に欠落していると見ることができます.
これは教育問題を論じるに当たっての注意点です.そんな理論は役に立たない,かけ算の学習のことを考えたいのだ,という人向けに,昨年出た問題集から,1問紹介します*10

  • 4つのプランターに3つずつチューリップのきゅうこんをうえます。きゅうこんはなんこいりますか。

算数の学習プリント―学力調査・算数的リテラシーに対応! (教育技術MOOK)』p.33からです.これだけだと,やっぱり「かけ算の順序を問う問題じゃないか」と思われるかもしれませんが,小問は次のようになっています.

  1. たし算の式で答えをもとめましょう。
  2. かけ算の式で答えをもとめましょう。

ここでたし算の式に4+4+4=12と書いたら,「それだと4つずつのチューリップを3つのプランターにうえるんじゃないの?」あるいは「プランターが12こってことになったりしないの?」と,親が友だちが,また本人の頭の中で,疑問を投げかけることができます.
かけ算に先だってたし算を考える,という出題は,個人的にはこの本が初めてでしたが,他の学年まで考慮すると,啓林館の算数教科書にも見ることができます.「子どもが 3人 います。みかんを 1人に 2こずつ あげます。みんなで なんこ いりますか。」を2+2+2で求めるのが,1年の教科書に入っています*11

(最終更新:2014-10-15 朝)

*1:http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20140623/1403471968

*2:うち1回は,「普通」にカギカッコつき.

*3:短縮URLしました.もとは:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%91%E7%AE%97%E3%81%AE%E9%A0%86%E5%BA%8F%E5%95%8F%E9%A1%8C#.E3.80.8C1.E3.81.A4.E5.88.86.E3.81.AE.E6.95.B0.E3.80.8D.C3.97.E3.80.8C.E3.81.84.E3.81.8F.E3.81.A4.E5.88.86.E3.80.8D.E3.81.AE.E9.A0.86.E5.BA.8F.E3.81.A7.E6.9B.B8.E3.81.8F.E7.B4.84.E6.9D.9F.E3.81.AB.E3.81.AA.E3.81.A3.E3.81.A6.E3.81.84.E3.82.8B

*4:かけ算における「順序」の使われ方は,以前に整理してきました:http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20140810/1407660260, http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20120406/1333658986

*5:直後は,「八,六,四十二」「六,八,四十二」などと九九を間違って憶えている子ども向けの指導法です.8×6,6×8の間違えやすさは,このころから知られていたのですね.関連:http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20140717/1405522800

*6:ただし,では1950年代では確立されていなかった「形成的」な評価や指導」がここに発生し,画期的だったのかというと,『教育評価』p.40で形成的評価の発生を述べるにあたり,「20世紀初めから(略)心理学的フィードバックの効果についての研究と深いかかわりがあるが」と記されていて,指導として先駆的だとまでは言えそうにありません.

*7:距離を置いた書き方をしていますが,私自身,学生の教育(その中でも工学教育・情報教育)の一端を担うとともに,来年度より義務教育を受けさせる子を持つ父親でもあります.雑誌などの,未就学児向けのコンテンツには,見るたび驚いています.

*8:論理的には「テストの点数を上げること」と「つまづき(テストの不正解)を発見し解消すること」とは鶏と卵の関係でありますし,形成的評価にあたってはその評価をきちんと行うためのテスト(形成的テスト)を作るのが不可欠だという考え方をとることもできますので,その点では,「テストの点数」と「つまずきの解消」のどちらを優先すべきというものではありません.後者が優先されているのは,教育・子育てなどに関わる人々の価値判断と思うのがよさそうです.

*9:この2分はやや乱暴なところもあり,付記すると,入試のテストは,入学して勉強ができるだけの知識・能力があるかを見るという観点から,「診断的評価」に位置づけられます.一連の教育活動において診断的評価・形成的評価・総括的評価のすべてを使用することもあります.

*10:http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20130425/1366840221#2

*11:http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20140703/1404313204