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「形式的」再考

こどもが,このような誤った解決をするのは,かけ算の意味をひととおり理解しているにしても,その理解が形式的になっていることを示しているといえる。

IV. 算数についての学習指導法

 「形式的」の言葉を,もう一度見直すことにします.オリジナルが昭和26年の出版物という,上記引用元のページ全体で「形式」を検索すると,主に2種類の意味合いなのが確認できます.まず,「形式的」とあれば,「単に基礎的な技能を形式的に指導するだけで,じゅうぶんであるとはいえない」をはじめ,教育上,良くないというニュアンスで使用されています.その一方で,「的」のない「形式」も何度か出現していて,「これをどんな形式にまとめたらよいか」「筆算形式」など,各文脈で,その形式を採用することの有用性を指摘したものとなっています.
 話を現在に飛ばして,小学校学習指導要領解説算数編のPDFファイルで検索してみました.ここでは,ポジティブな意図の中にも,「形式的」の語を見ることができます.まずは,式の働きの箇条書きの1項目にある「(イ)式の表す具体的な意味を離れて,形式的に処理することができる。」(p.58),もう一つは,加法の筆算の中にある,「このように各位の計算を,位をそろえて形式的に処理しやすくしたものが筆算形式である」(p.84)です.
 ここで連想するのは「式の形式的処理」です.算数・数学教育の中で*1,この用語を知ったのは,『数学教育学研究ハンドブック』(第3章 教材論 §3 文字式)なのですが,研究者・教育者の報告が先なのか,学習指導要領解説の掲載が先なのかについて,手がかりをつかむことはできませんでした.


 「その理解が形式的になっていることを示している」について,先日*2は,形式的にならない指導法を見てきましたが,比較的最近の文献にも,新たな,そして執筆者によると効果的だったと主張する,指導法を読むことができます.

 この文献については,「かけ算の順序」に否定的なツイートも見かけますが,全体的には,学習支援教室における児童Yへの個別指導*3を通じて,Yがかけ算の「正しい順序」を会得した,という流れになっています.
 このPDFファイルでも「形式」を検索すると,1箇所だけありました.「教材として用いる題材や問題の形式を学習者の特性に合わせることによって」と,その形式を採用することの有用性に関する意味合いです.
 なのですが,一通りの指導を終えた後の,総合考察の中で,「形式的」と同じ意味合いの記述が見られました*4

 それでは,本稿の学習支援プランには,文章題解決におけるどのような困難を克服する効果があったのだろうか。Mayer (1992)は,算数文章題を解決する際の心的過程を4段階―解釈段階,統合段階,プランニングとモニタリング段階,実行段階―に分けた。このうち,Yが困難とした,式の順序とかけ算の意味との対応づけは,統合過程におけるつまずきである。統合過程では,問題タイプについての知識(スキーマ的知識)に基づいて,文章題から読み取った情報のうちの適切なものが選択・統合されて,文章題全体についての心的表象が構成される。Mayer (1992)によれば,スキーマ的知識には,例えば「面積の問題は,面積=縦×横という公式に基づく」のように,式についての知識が含まれる。「一あたり量がいくつ分」というかけ算の文章題で言えば,スキーマ的知識は「一あたり量がいくつ分というかけ算の問題は,全体量=一あたり量×いくつ分という式に基づく」のように表現できる。一方,Yは式の順序とかけ算の意味との対応づけが不十分であったことから,Yが有していたスキーマ的知識は「かけ算の問題は,全体量=ある数×他の数という式に基づく」のような不十分な状態であったと考えられる。そこで,問題の状況を表す絵を取り入れた教材に即して学習することにより,式の順序とかけ算の意味とが正しく対応づけられ,スキーマ的知識がより精緻なものになったと考えられる。以上のことから,問題の状況を表す絵に即して,式の順序とかけ算の意味とを対応づける学習支援プランは,算数文章題解決の統合過程における困難を克服する効果があったと考えられる。

 強調箇所の「Yが有していたスキーマ的知識は「かけ算の問題は,全体量=ある数×他の数という式に基づく」のような不十分な状態であった」*5が,冒頭の引用の「その理解が形式的になっていることを示している」に重ります.
 そして,昭和20年代なら「(グループの大きさ)×(グループの個数)=(量全体の大きさ)」,宮田の文献においては「全体量=一あたり量×いくつ分」を,児童に学んでほしいのだという目標と,目の前の子どもの反応とのギャップに気づき,子どもに分かる出題や対話を工夫して,指導を行ってきた,という共通性を見ることができます.
 ここで容易に想像できる批判は,学んでほしいかけ算の意味,あるいは式の形式が,「(グループの大きさ)×(グループの個数)=(量全体の大きさ)」「全体量=一あたり量×いくつ分」でいいのか,だと思います.言ってみればそもそも論です.これについては結局のところ,まずは各教育者の方針であり,次にはその方針は先行事例*6に照らし合わせて,妥当かどうかを,実際に教育に携わる人やその周囲(特にスーパバイザ)が適切に判断できるかにかかってくるように思います.昭和26年の試案については,執筆者のほかその文章の校閲者がいたはずです.宮田の文献では,共著者なのが想像できます.


 ところで,宮田佳緒里のお名前を,先日,別の調べ物をしていて見かけました.

 「全国規模の学力調査における重複テスト分冊法の展開可能性について(成果報告書1)」の研究組織-研究補助の中に,名前があります.
 東北大学が調査し取りまとめたというこの件,全国学力テストに「重複テスト分冊法」や「項目反応理論(IRT)」を適用できるかという問題意識のもとで進められました.地元の学校の協力を得て国語・数学のテストを実施し,学力比較のほか,多値IRTモデルにより記述問題に対応可能といったことなどが,報告されています.
 平成23年度というと,震災のため,全国学力テストが実施されず,問題文や解答類型は公表されているけれども,各解答の割合が出なかった年度です*7
 報告の謝辞には,「東日本大震災の深い傷が癒えない中であるにもかかわらず,この調査研究にご協力いただきました」を置いてから,自治体名が記載されています.
 この文を見たとき自分は,研究者の一端として,また内外の教育の多様な取り組みを紹介していきたい者として,何をやってきたのか,これからもやっていけるのかと,考えさせられました.

*1:個人的な経験をいえば,学部のときに受講した論理学や情報理論の中で,式や系列の意味を考慮することなく,対象を取り扱うことの意義を学びました.

*2:http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20141012/1413066234

*3:「学習者の事前状態に合わせた支援プランが必要である」と本文の最初の段落で書かれており,これは実際の指導において,「Yは問題文を読んで絵を描くことに抵抗を示す傾向があるため,予め描かれた絵を選択させる方法を採用した」に反映されています.

*4:http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20140413/1397343883より転載の上で(引用時の)誤字を修正.強調は筆者.

*5:同じことを言っているまた別の書籍もあり,http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20130219/1361220251#2で「「意味が欠落した手続き」では,「(最初に出てきた数)×(後から出てきた数)」として考え」として紹介しました.そこでは,かけられる数とかける数を間違える子がいることを踏まえた授業---個別指導ではなく,クラスの対話を経て正しい式を確認---が展開されています.

*6:引用にある「面積の問題は,面積=縦×横という公式に基づく」と「一あたり量がいくつ分というかけ算の問題は,全体量=一あたり量×いくつ分という式に基づく」は,遠山の著述をもとにしているのが想像できる一方で,そういったスキーマ的知識は,単位正方形がいくつあるかで長方形の面積を求めようという,現在の学習指導要領解説に見られる流れ(系統性)に合っていないなあ,という印象も持っています.

*7:http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20111119/1321649999