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原発事故は起こらない? 第1不完全性定理はなかった?

数とは何かそして何であるべきか (ちくま学芸文庫)

数とは何かそして何であるべきか (ちくま学芸文庫)

東京へ持って行き,iPhone 6 Plusでメールチェックが済み空き時間ができたら,開いていました.
第I部の「連続性と無理数」のあと,第II部の「数とはなにかそして何であるべきか?」が終わるのはp.136ですが,この本はまだまだ続きます.特にページ数の多いのは,訳者・渕野昌による付録C(現代の視点からの数学の基礎付け)で,この付録だけで100ページを超えています.訳者による解説とあとがきを足せば,第I部・第II部の合計ページ数を上回ります.
さて,付録Cの脚注の中に,証明された定理と,原発の安全性とを結びつけた記述がありました(p.238).

56) 大震災での原発事故の起こる前の日本では,原発事故は「起こらないものである」とされていて,原子力発電の関連団体が,原子力発電に関連する事故予防のための技術開発に関連する研究をしようとしている大学などの研究者に圧力をかけて,研究をやめさせようとした事例すら少なくなかった,という話を聞いたことがある.訳者には,これは「第1不完全性定理はなかったことにする」という一部の(つまり大多数の)数学者のパターンや,不完全性定理と関連する数学の研究に対する姿勢と同型のもののように思える.

注意を2つ.まず,「関連する」が2つある文は推敲不足と思われます*1.それと,「大多数の」について,その定理が公表された当時の数学者(本文ではブルバキを挙げています)のことかなと思ったものの,この脚注を与えている本文では「(略)独立性証明を含む数学は,未だに数学の「主流」から不当にマージナルな扱いを受けているように思える」とあるので,いまの数学者を対象にしている可能性も捨て切れません.
なぜ,なかったことにするのか…訳者による推測が,本文に入っています(p.236).

解決しようとしている数学的予想が,それを解決するのに必要な道具がまだ開発されていないために,現時点では決して解けないかもしれない,という不安は,数学研究では,数学者を常に苦しめることになるわけである.この不安を払拭する唯一の方法は,その数学的予想を解くための道具はすべて自分の手のうちにある,あるいは,自分で揃えることができる,と硬く信じることだろう.このことと,「第1不完全性定理はなかったことにする」,というおまじないの間の差はほとんどない,と言ってもよいように思える.

この文章がまさしくそのとおりと思えるだけの,当時の情報を持ち合わせていませんが,「すべて自分の手のうちにある,あるいは,自分で揃えることができる,と硬く信じること」については,研究や教育を進める際に気をつけないといけないところです.


Q: かけ算の順序強制教育は,順序のないかけ算や,「4×100m」といった書き方を,なかったことにしているのでは?
A: いいえ.指導案・指導例を読んできた限りでは,順序のあるかけ算で意味づけをしたあと,順序のないかけ算を始めさまざまな事例に適用しているのが見て取れます.
ところで,「すべて自分の手のうちにある,あるいは,自分で揃えることができる,と硬く信じること」は,Web上で批判をしている人々の特徴になっていませんでしょうか.*2

*1:書き換えてみるなら:原子力発電の事故予防のための技術開発に関する研究をしようとしている,大学などの研究者に,原子力発電の関連団体が圧力をかけて,研究をやめさせようとした(以下同)

*2:例えばhttp://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t21/2101の「ちなみに、等しい比の性質を利用して文章問題を解くと思い切り逆式になる場合もありますが、教科書も指導書も一切触れていません」については,http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20120602/1338582441で事例を確認済みです.