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かけ算の順序は陣取りゲーム

Webで目にする「かけ算の順序」は,しばしば,陣取りゲームをやっているように感じます.事例や意見をつなげて,主張の妥当性をアピールし,反論はより小さく見せよう(あるいは無視しよう)という動きです.私もその中に,批判の中核には距離を置きながら,関わっていることを自覚しています.
それはそれとして,算数教育,そして「かけ算の順序」を論じた2つのノートを読み,はてブをつけました.

初等科数学科教育学序説―杉山吉茂講義筆記』は,手元にありません.さっそく注文しました.他のブログでも見たことがあるぞと検索してみると,http://blogs.yahoo.co.jp/tamusi22/19318559.htmlを見つけました.

ともあれノートを読み直しました.その1は,加法・減法の意味とその指導についてです.「「比較」と「減少・除去」は意味が違う(子どもたちが描く図が違う)」は,先日,本を購入したはずと,『[isbn:9784181792152:title]』を開いたところ,ひき算には「のこりは いくつ(求残)」と「ちがいは いくつ(求差)」という見出しになっていました.

その2について,「(p.130)」で終わる引用箇所では,以前*1,似たまとめ方をしたことがあるなあと思いながら,読み進めていくと,うーんと思う記述にぶつかりました.

いや,ちょっと待って。 8 の段の九九を使ったからって,それが即刻,子どもはこの計算をするとき包含除で考えていた,ということになるだろうか。「その意味を仮に解釈するならば,」といま私は書いたけれど,「仮に解釈する」のは誰だろう。これをこのまま小学校の教室のなかに持ち込んだら,子どもはかけ算の意味に順序が関係すると思っている,と勝手に決めつけていることにならないか。とするとこれって,いわゆる順序批判の人がいちばん「それはおかしいでしょ」と声高に叫ぶ部分ではないか。

その前後も読んだ上で,気になったのは,包含除でないとしたら何だろうか,です.
まず思い浮かぶのは,「●÷▲を,(かけ算の)九九で求めるには,▲の段を使えばいい」を知識としている可能性です.ここでいう知識とは,学校で,また教科書を通じて,そのように学習したという可能性のほか,いわゆる先取り学習で学んでいた*2というケースも考えられます.
とはいえ,なぜ「●÷▲を,九九で求めるには,▲の段を使えばいい」かを学ぶのは,1回分の授業になりそうです.包含除や等分除の図・道具を活用したり,▲×□=●や□×▲=●で検討したりして,学級で共有する結論へと導くことも,可能と思われます.
なお,●÷▲=□と▲×□=●を結びつけるのは包含除,●÷▲=□と□×▲=●を結びつけるのは等分除ですが,●÷▲を求めるのに▲×□=●と□×▲=●のどちらを使えばよいかを検討する際には,包含除も等分除も使用されません.
そういったことを考えると,ノートに記載のなかった,「除法は乗法の逆演算」という考え方が,重要になってきます.これは『数学教育学研究ハンドブック』(p.74)にあります(ただし,この考え方が算数教育において望まれているという書かれ方ではありません).ついでに,そのセクションには,杉山吉茂(2008)「わり算は包含除」http://ci.nii.ac.jp/naid/110006613396が引用されています.
「仮に解釈する」「勝手に決めつけている」のは,ノートの作者さん*3であって,他の考え方・可能性を調査・検討することなく,他の読者が「学校の算数はダメダメだトンデモだ」と評しているのが,算数教育を離れ目につく,“ネットの状況”なのかなと思っています.
ところで,冒頭の陣取りゲームを,演算の意味,とくに乗法・除法に関連づけて書いておくと,わり算の意味づけに2通りあることは,海外の書籍や,米国Core Standardsからも見ることができます*4.いわゆる3用法は,高学年でも「はじき」などとして知られていますが,現代化の際の座談会で叩かれながら*5現在まで残っていますし,図式は洋書にも見ることができます*6
書籍を通じて学び取れる,歴史的・国際的な状況,そしてそこからうかがい知ることのできる,広い陣地に,自分自身は目をやりながら,本を読み手を動かすだけでなく,Web上の読んで痛いと感じた文章についても,無視しないよう努めている日々です.


ところで2つのノートに何度も「子ども」が出現するのですが,実感がわきません.作者さんが子ども=小学生を直接,指導しているわけではないのは(私だって小学校の教諭ではないですし)いいとして,それぞれ書かれている「子ども」を,個々でとらえるべきなのか,学級だとか学校だとか,日本の教育だとかの,学習者の総体としてとらえるべきなのか,曖昧に見えたからです.
かくいう私自身は,さまざまな視点を意識しています.学生の授業や研究室の状況のほか,成績評価では,個々に見る必要がありますし,小テストや試験の正答率を求める際には,受講者全体としての統計処理を行っています.座学では難しいのですが,演習科目では,共通の課題を各学生に取り組ませながら,いろいろな別解を受け入れ,壁にぶつかったらヒントを与え*7,学生どうしの意見交換そして問題解決を促しています.

*1:http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20130605/1370382764

*2:もし,授業でそれまで「●÷▲を,(かけ算の)九九で求めるには,▲の段を使えばいい」を学習していないとしたら,それを言った子どもに対して先生が「どうしてなの?」と尋ねることも,あっていいでしょう.子どもは理由が説明できず,そこで,形式的な理解ではいけない,「先取り学習」は良くないよねという流れを,算数を専門とする先生の文章を読んで,感じることがあります.

*3:「子どもはかけ算の意味に順序が関係すると思っている」には,久しぶりに“ネットde真実”が思い浮かびました.小学校のかけ算の学習で「順序」は,異なる用途で用いられていますhttp://d.hatena.ne.jp/takehikom/20140705/1404486005が,どなたからも教わっていないのが残念です.

*4:http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20131226/1387983600, http://www.corestandards.org/assets/CCSSI_Math%20Standards.pdf#page=89

*5:http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20140610/1402399854

*6:http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20130130/1359490089

*7:同じ「つまずき」に異なるアドバイスをすることもあります.これまで書いてきた中に,いい実例が思い浮かばなかったのですが,一つくらいは指導例を:http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20090512/1242075491