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二宮金次郎にも葛藤

小学校で学習すべきとされている「道徳」について,学び直しました.
きっかけは,いくつもあります.上記の本を手に取り,購入したことはもちろん重要ですし,うえの子が小学校に入学したわけですから,国語算数以外にどんなことを学ぶかというのにも,関心はあります.
昨年にも,道徳教育を自分なりに考えるきっかけがありました.2件あって,どちらが先か後か,よく覚えていませんが,その1つは,秋口に開催のお手伝いをした学会の,実行委員が集まった飲み会でのことです.前後関係は忘れたものの,教育学部の先生が「道徳教育には葛藤がないといかん」とおっしゃっていたのは,強く印象に残っています.
あと1つは,日付も比較的はっきりしています.『江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統 (星海社新書)』を読んだことです.「掛け算」の記述など,第1刷を読んで浮かんだ疑問は,http://www49.atwiki.jp/learnfromx/pages/124.htmlをご覧いただくとして,それと別に気になったのは,著者の記した道徳教育の「代案」です.第1刷だとpp.212-213およびp.216なのですが,例示された「欧米のマナー」「茶道」*1にしても,それぞれの書かれ方にしても,いかにも取って付けたような記述であることに,少々,違和感を持ちました.別の言い方をすると,道徳教育・小学校教育に携わる人向けの本ではないな,となります.
『私たちの道徳』や関連文書,『江戸しぐさの正体』の第六章以降を読んで,現時点で思うのは,出版され多くの人に読まれるために,何を活用し何には言及しないかといった,取捨選択の重要性です.前者が江戸しぐさを採用し,後者が『かけ算には順序があるのか』を参考資料に入れたのにも,各執筆者の思いがそこに込められているわけです.とはいえ,江戸しぐさが史実的にあり得ないことだけを書いたのでは,「売れない」こと,そこで教育問題と関連づける必要があったことは,想像に難くありません.

以下は「道徳教育には葛藤がないといかん」を掘り下げていきます.『完全活用ガイドブック』に載っている,「読み物資料「小さなど力のつみかさね―二宮金次郎―」を活用しよう」(pp.22-23)に着目しました.見開きで,左のページ(p.22)には活用のポイントと授業の工夫,そして下部に板書例があります.右のページ(p.23)は学習指導案で,学習活動・予想される児童の反応・指導上の留意点の3つの列からなる表が,ページの大部分を占めています.
二宮金次郎というと,薪を背負いながら本を読んで勉強を続けた人だとか,小学校からその像が撤去されつつある*2んだよなあとかいった程度の認識でした.二宮尊徳(そんとく)だっけとwikipedia:二宮尊徳を見ると,正確には「たかのり」とのこと.
「小さなど力のつみかさね―二宮金次郎―」の本文は,http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/doutoku/detail/__icsFiles/afieldfile/2014/03/12/1344239_1.pdf#page=16で読めます.またWikipediaほかで,富田高慶の『報徳記』によるとあるので,Web上を探してみると,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/758951が見つかりました.「明かりに つかう あぶらが もったいない。早く ねなさい。」に対応する箇所は,コマ番号22の「萬兵衛又罵て曰汝自力の油を求め夜学すれは我か雑費には関せ?*3といえとも汝学ひて何の用をかなすや無益の事をなさんより深夜に至るまで縄をなひ我か家事を補ふ可し」と分かりました.
単語からいくと,「葛藤」の文字は,『完全活用ガイドブック』p.23にあります.表の,指導上の留意点の中に書かれた,「勉強をするかやめるかで葛藤する金次郎の気持ちがわかるように,発言を分けて板書する。」の項目です.
表を左に見ていくと,これと対応する,学習活動の項目は,「おじさんに叱られた時,金次郎はどう思ったか。」で,「中心発問」がカッコ書きで添えられています.また予想される児童の反応は,「勉強をやめてしまおうかな。」と「あきらめてはいけない。頑張ろう。」の2点です.とはいえ同列に扱うわけではなく,前者も引き出しつつ,授業の展開で使用したいのは,後者となります.
板書例(p.22)では,「べんきょうをやめてしまおうかな。」「本当はべんきょうしたいけれど…。」と,「あきらめてはいけない。がんばろう。」を,⇔の記号で結び,記号の下に「どうしよう」と書いています.小学生向けの授業で,葛藤という言葉は使えないけれども,これが葛藤を可視化したものとなっています.同様の対立の図式は,p.24にも見られます.
内容としては偉人のエピソードだし,『報徳記』はその作成経緯から,美談を載せたくなるだろうなというのも,それなりに想像できます.数年前によく見聞きした「盛る」というのが,最もよく表しています.
そうしてここでも,取捨選択の重要性に思い至るのです.
二宮金次郎は,「家業を支えながらもしっかり勉強しなさい」というメッセージをこめて,ある時期の教育で活用されてきたわけです.そして現在,夜に勉強するなと叱られたとしても,それでやめるのではなく,「あきらめてはいけない。がんばろう。」という気持ちで努力をするのですよ,という形に変わりつつあるんだな,というのは,この教材と授業案を目にしたところでの感想です.
教え込み型の教育との違いも,あります.子どもらの意見交換を通じて進めていく(ことが求められる)今の教育そして授業では,「べんきょうをやめてしまおうかな。」を,教師にとっては二宮金次郎に投影される葛藤の一部として,児童に言ってもらうことになります.


文科省の関連情報:

Q: 「江戸しぐさ」は捏造でしょ?

A: まあ,面白い創作ですね.好きにはなれないけれど.
本記事において私は,捏造かどうかには関心がなく,二宮金次郎にせよ,「江戸しぐさ」にせよ『江戸しぐさの正体』にせよ,執筆者が何に誘惑を覚えて取捨選択し,目に見えるモノ(出版物)になったのかを知ることを,優先して書きました.
その知見は,学会発表(とくに図書・出版の関係)を聞く際にも有用だし,質問をしたこともあます.「何を書くべきか」「何を書いてもよいか」「何は書かないほうがよいか」「何は書いてはいけないか」の区別は,論文その他の執筆(学生の論文指導を含めて)の基本となっています.

Q: 実在しない「江戸しぐさ」が教育で使われるのがまずいんだよ?

A: フィクションを使った道徳教育は,低学年の「ぽんたとかんた」*6ほかで見ることができます.根拠の有無よりも,教育への適用のしやすさが重視されているなあという思いを持っています.
それと江戸しぐさは,「私たちの道徳」全体からすると小さな扱いです*7.飛ばすことも,茶道・柔道など他のことに時間をとるのも,可能だと思います.
挨拶や礼義の重要さを,落とし込んで小学校の道徳の授業で使えるような事例を開発したり,良い授業例を紹介したりする状況が見当たらないのもまた,ネットの議論*8の軽薄さに見えてきます.

Q: 授業で子どもが「べんきょうをやめてしまおうかな。」って,言うんですか?

言うように仕向けることは,先生の力量次第,学級運営次第かもしれませんね.
あるいは,先生の側から「やめろって言われてしまったら,勉強をやめてしまおうって,思ったりしないかな?」と問いかけて,子どもたちから違う違うと言わせるという展開も,可能だと思います.

Q: あなたはこれから何か,道徳教育をするのですか?

記録を探してみると,「技術者倫理」に絡めて,葛藤を取り扱っていました.

今はこんな出題をするような授業を持っていませんが,学生が何を(複数のことを)考えていて悩んでいて,そんなとき,教員としてどう行動すべきか,アドバイスする際に,「道徳」や「倫理」,「伝記」,そして「先例」は,使いどころ次第かなと思っています.

(最終更新:2015-04-23 朝)

*1:『私たちの道徳 小学校5・6年』はPDF版を文部科学省が公開していて,江戸しぐさが載っているのはhttp://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2014/12/01/1344900_4.pdf#page=3ですが,その1つ前のページで,茶道を取り上げています.

*2:http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1033538425, http://matome.naver.jp/odai/2132753828846624601

*3:判別不能.「関せずといえども」か?

*4:小学校1・2年,3・4年,5・6年で出版社が異なっているのは小さな驚きでした.

*5:「葛藤」を機械検索してみると,単独の出現もありますが,「悩みや葛藤等の心の揺れ」など,「悩み」「迷い」などと合わせて,「葛藤」の文字がよく見られます.

*6:http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/doutoku/detail/__icsFiles/afieldfile/2014/03/12/1344239_1.pdf#page=21

*7:『完全活用ガイドブック』ではpp.112-113で取り上げられています.葛藤は,見当たりません.加えて,p.113の下部(その他の活用例)に書かれた「やや即効性をねらう内容なので」は,道徳教育の本道でないなあという印象を受けました.

*8:私も加担していることを,自覚しています.