わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

学校教育は定常的そして注入主義

メールで届いた「【Gunosy】2016年03月14日のまとめが更新されました」の中に,学校教育の現状に対する見方がずいぶんと異なる情報が2件,ありました.

前者はコピペがラクです.

(略)私が教育現場にいた過去30年間、メディアが「学校教育のこの点については『これまで通りでよい』と思う」と書いた記事を読んだ記憶がない。教育に関してメディアは「なぜ、もっと早く、もっと根本的に変わらないのか」しか書かなかった。これは誇張ではない。
だが、学校や医療や司法のような社会的共通資本の最優先課題は何よりもまず定常的であること、惰性的であることなのである。それが生身の人間の等身大の人生を安定的に保持するための装置だからである。そのような装置はそのつどの支配的な政治イデオロギーや消費動向や株価の高下や流行などに左右されてはならない。定常的・惰性的であること、急激には変化しないことが手柄であるような社会制度というものがこの世には存在するのである。政権交代するごとに変わる教育制度とか、景況が変わる毎に変わる医療制度とか、株価の高下で変わる司法判断とかいうものはあってはならない。

後者は,スライド番号13同16において,冷静に分析する表現をとりつつ批判をしています.赤字にしていない「教員指示」「逐一したがって」「学校生活からの徹底したICT排除」「知識理解中心」「注入主義」「執着」が,特徴的です.
私は授業や某ゼミにおいて,計算機やインターネット上の情報を学生が活用することを期待しながら,準備や指導にあたっていますので,上記SlideShareの批判をもろに受けとめる立場ではないけれども…
この件,どの部分は従来どおりとし,どの部分を新しいやり方(ICTも含めて)で行うかを決めて組み合わせ,相互補完となるような授業を,実現できないものかと考えます.
授業時間数や,何人に1台の機械を割り当てるかは,予算にも依存するところがあります.
「うちがやります!」というところには…受け入れられる学校・学級を見つけ,機器依存のトラブルについては完全に提供者側が解決を図ることにして,成果を連名で発表し,報道されるのを取っかかりに,より良い試みは周囲へ,そして日本全体へ波及していく,という筋道を描くのは,どうでしょうか.


日本の教育について,先月行われたカンファレンスと,1990年代に行われた調査より,1つずつ:

 一方、菊池氏によれば、日本の学生の基礎学力は圧倒的に高く、公立学校で行われている教育は“良くできている”と世界的に認識されており、「日本の先生は世界からすごく評価されている」と語る。日本の教師のICTに関わるリテラシーは決して高くはないが、「今の教育が極めてうまくいっているので、学習の到達目標が定められているものであれば、特にICTは必要ない」と説明する。
 とはいえ、「ゼロから1を作り出す力や、物事を批判的に読み解く力」のような、子どもが現在学校で学べていないスキルが必要になった時に、ICTが活用されることになるだろうと同氏は見ている。今は主に受験に備えるべく「記憶して、再現できる」スキルを身に付ける教育が求められているが、そこから「教育のレベルが変わってきた時にICTが必要になる」というわけだ。

教育における「ICT」の役割、課題解決と未来の可能性--リクルート、ドワンゴ、グーグルの視点 - CNET Japan

日本の算数・数学教育に学べ―米国が注目するjugyou kenkyuu

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最終的な標本は「全国確率標本」です。この用語は,その国の中学2年生の数学担当教師,およびその教師の担当学級から無作為に標本抽出が行われたことを意味します。このことはビデオ研究を行った三か国のいずれについても同様です。最終的にビデオ研究は第8学年(中学2年)の231学級を標本とし,うち100学級がドイツ,50学級が日本,81学級が米国の学級です。学級数はそれほど多くはありませんが,無作為抽出によって標本とされたので,三か国のそれぞれにおいて生徒が受けている数学授業に,全体として見ればおおよそ近いものであると確信します。要するに,統計的方法において最高の基準に見合う標本を得たわけです。

2) 各国とも100学級を考えましたが,入れ替えを認めなかったため米国では19学級が消えました。日本は地理的に狭く,同質性も高いことから50学級で十分とされました。

ドイツは100,日本は50,米国は81