わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

テストの文脈,ネットの文脈

本文は「なるほどたしかに」の内容でした.一番,主張をされたいのは,「「問題さらし」はこういう文脈をすべて切り捨てる行為」の直後の段落だと,理解しましたが,そこに至るまでの流れも,丁寧に書かれてあります.また,「学校のテストと模試・資格試験の違い」のところで,診断的評価・形成的評価・総括的評価を連想しつつも,文章は,それらに代表される教育評価の諸概念を知らない人でも,読める内容(言葉の選び方)でした.
さて,個々のテストや板書に,文脈があるという主張には,同意するものの,SNSでさらすことが,その文脈を切り捨てるという考え方には,引っかかりを覚えました.
というのも,SNSに流すのは,新たな文脈をつくることだからです.
文脈は,「思惑」と置き換えることもできます.
先生(当事者)や出題者の側が公表された,板書例やテスト問題から,学校の先生方が共感するような文脈=思惑が,読み取れることもよくあります.
問題さらし・採点さらしを通じて,今の教育はおかしいとアピールするのにも,ネットならではの文脈=思惑が見えてきます*1.その方が「ウケがいい」のです.
かく言う私も,他の方が手がけた授業例やテスト例を,ブログで取り上げて論評することをよく行います.そこには,当ブログ上で文脈をつくるのに加えて,公表された内容には必ずしも明示されていない「文脈」を特定したい(より正確には,文脈を推定してみたので,自分なりに整理しておきたい)という側面があります.
かけ算の順序を問う問題は,事例整理の体裁をとった,文脈づくりです.今年書いた記事だと,今年の全国学力テストに見る,たし算・かけ算・わり算の順序が,もとの文脈を切り捨て,独自の文脈を取り入れた事例となります.


冒頭の記事は,http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/math/1464502668/246-249で知りました.教育の状況と,ツイートに対する分析が,言葉づかいは別として,そこでも丁寧に書かれていました.247の途中の「模試や受験みたいに、やりっぱなしではないのでね、学校のテストは。」が痛快です.
ざっと見たところ,誰も取り上げていないので,次のことを指摘しておきます.まず,「500円の70%はいくら」「1000円の50%はいくら」は,「割合」というよりは「百分率」を理解しているかを確認するための問題ではないかと思います*2.それと,「1000円の50%はいくら」について,1000×0.5と1000÷2という2つの式を比較していますが,子どもたちがつくる式は他にも考えられるはずで(1000×50,1000÷50など),そういった反応(テストであれば解答類型)をもとに,正解・不正解や,解答者の理解の状況,出題の意図などを検討するようにしたいところです.全国学力テストは,そのあたりのところを,丁寧に取り扱っています*3

(リリース:2016-06-10 早朝)

*1:ツイートなどの情報発信が「文脈をつくる」と同時に,学校教育の実情はこうだ(真実かどうかはさておき)という「文脈を確認する」ものとなっています.

*2:割合と百分率との違いや関連については,http://www.shinko-keirin.co.jp/keirinkan/sansu/WebHelp/05/page5_21.htmlがおすすめです.

*3:https://www.nier.go.jp/12chousakekkahoukoku/03shou-gaiyou/24_shou_houkokusyo-4_sansuua.pdf#page=42; http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20160508/1462657090, http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20160517/1463493233