わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

大学院入学を研究者の入口とするのなら

 今日,ツイッターで,V字回復を含む絵を見かけたのですが,その元となるのが,上記のPDFの3枚目(右下に「1」のスライド番号)でした.
 ひととおり見て,もっとも気になったのは,スライド番号2,「研究人材改革の論点」です.青塗りの多角形から,年齢が上がれば大学における研究者数が下がること,そして研究者のスタートラインは大学院生であることが,読み取れます.
 大学における研究者数について,企業から大学教員への転職も見かけるとはいえ,専任の職に就いても様々な理由で大学を去る同僚がいるのは厳然たる事実であり,緩やかな右下がりになっていることには,異論ありません.
 その一方で同意できないのが,大学院生を研究者に算入したときの,修士学生の数です.自分の所属する大学院の学生数と学部教員数との比を考えても,また学会発表の学生セッションの状況を見ても,修士学生はうんと多いのですが,折れ線グラフにはそれが反映されておらず,修士課程を終えた学生の9割くらいが,博士課程に進むような絵になっているのです.
 とはいえ自分の研究室で,博士課程の学生を受け入れられる状態でもありませんので,研究とは何をすることなのか,先輩方そして指導教員はどのような障害を乗り越えて成果を得ることができるのかを,最低限,語った上で,時間と計算機と,学生に応じたコンテンツ(論文を含む)を学生に提示して,活動に取り組んでもらい,叱咤激励する日々を送るべきだなと思っています.結局のところ,現状維持です.
 ただ,修士(博士前期)課程を終えて就職し,何年間か企業で勤務してから,もといた研究室でなくていいので博士(後期)課程に入り直すというルートがあることとその意義についても,伝える必要があると感じました.そのタイミングのひとつは,ホワイトボードを使って学部と大学院での学修について解説した,今週月曜の1年セミナーだったのですが,時すでに遅し….